■第228回行事・アーカイヴス(2012年12月)

★再び飛鳥・天武帝の陵園

●天武天皇の死後、持統天皇は藤原京の南に、中国の陪陵制を採りいれた「天武・持統天皇一族」の一大陵園を形成した。それらの陵墓の被葬者を「推定」しながら、最近の発掘の成果も踏まえ、飛鳥を巡りました。

◆岩屋山古墳 ◆牽牛子塚古墳 ◆越塚御門古墳 ◆マルコ山古墳 ◆束明神古墳 ◆土佐・家老屋敷 ◆高松塚古墳 ◆中尾山古墳 ◆藤原京と天武帝の想定陵園・陪陵

コース近鉄・飛鳥駅~岩屋山古墳~牽牛子塚古墳・越塚御門古墳~マルコ山古墳~束明神古墳(春日神社)~真弓陵(岡宮陵)~土佐~鬼虎古墳~文武陵~高松塚古墳~中尾山古墳~近鉄・飛鳥駅

(約12㎞)

【国土地理院発行25000分の1地形図「畝傍山」使用(図上を左クリックすると拡大します)
25000分の1畝傍山_飛鳥西部②2

 

●天武・持統天皇合葬陵(檜隈大内陵):対角長約47m[160天平尺]の五段八角墳で、独立小丘陵の頂部にあり、墳丘の表面に凝灰岩の貼石があります。墓室は組合せ横口式凝灰岩製では最大の石室(槨)で、使用されている石材が「束明神古墳」と同質・同形・同大であることがわかっています。

◆岩屋山古墳 [被葬者は斉明天皇< 皇極天皇重祚>と推定されていましたが(河上)、その説は薄れつつあります]
○「岩屋山式」横穴式石室で花崗岩切石を積み、両袖式、全長約18m・玄室長約5m・高さ・幅各約3mです。石室編年の基準となり、側壁、奥壁は二段に切石を積み、下段は垂直、上段は内側に傾斜しています。羨道は長さ13m、幅2~2.3m、高さ3.1mあり、入口側の側石は二段に積まれて、玄室の南側床面に集水用円形掘込みと羨道中軸に並行の排水溝があります。
○墳丘外に方形区画(「兆域」)があり、三つの尾根の中央の短い尾根の突端上に設置されています。
岩屋山_羨道側壁図面明日香村教委【岩屋山古墳・側壁図:明日香村教育委員会】
○墳丘は三段築成で上段八角形・下段方形の版築方法で一辺約54m・高さ約12mの方墳であり、「終末期」(飛鳥時代)前半[6世紀末~7世紀中葉]に築造されたものと推定されています(河上)。
岩屋山③組石【岩屋山古墳・石室】
●横穴(口)式石室とは、玄室に羨道を付設した様式です。

◆牽牛子塚古墳  (けんごしづかこふん:朝顔古墳) [注)宮内庁治定の「斉明陵」は「小市岡上陵」(高取町車木)]
[被葬者は、斉明天皇と間人皇女(はしひとのひめみこ)の二体合奏説が有力です(日本書紀より) ]
○二上山[約14㎞離れる]の巨大な凝灰岩を側面から刳り抜いた(横口式)石槨の周囲を石英安山岩の直方体切石[幅約1.2m・奥行約0.7m・約2.8m高]を積み上げてあり、凝灰岩石と安山岩石の接合部は漆喰が充填されています。刳り抜いた石槨内は、50㎝厚の「間し切り」を挟み、二室(二体合葬)に分かれています。両室とも2.1m長・1.2m幅・1.3m高で、各石室床面に棺台(長さ1.9m、幅0.8m、高さ0.1m)を各々削りだす横口式となっており、天井部はドーム状です。全体としては、幅約5m・奥行約3.5m・約2.5m高です。石槨内には、漆棺[夾紵棺]が置かれ、棺は棺台より180㎝長・65㎝幅・55㎝高だったとと推定されています。
・石槨の入口に30㎝厚の扉石があり、扉金具が設置されていました。副葬品に七宝亀甲形飾り金具、ガラス製丸玉等が検出されました。
○本墳は、対辺22m・高さ4.5m以上と推定される、135度を有する「八角墳」で、二重のバラス敷き部分を含めると32m以上の規模となります。墳丘裾部に二上山凝灰岩切石、その外側に川原石のバラスを敷き、墳丘部も凝灰岩で装飾されています。石槨構造より7世紀後半の築造説が有力で、現陵は文武3年(699)修造後のものです。本墳は真弓丘陵(崗)の一画にあり、三つの尾根の中央の尾根突端上に築造(岩屋山型)されており、墳丘は版築で築成されています。
牽牛子塚右半②
牽牛子塚_室左半②
P1040759②
牽牛子塚説明盤②【牽牛子塚古墳:石槨内と構造模式図】
注)「漆塗棺」・「漆塗石棺」・「陶棺」:7世紀前半~中期に作製された。「夾紵棺」(麻布と漆の塗り重ね)・「漆塗籠棺」(籠に漆塗り):7世紀中期~後期に作製された。「漆塗木棺」:7世紀末~8世紀初めに作製された。「横口式石槨」:羨道がなく、玄室のみがあるタイプ

◆越塚御門(こしつかごもん)古墳  [被葬者:斉明天皇の孫・大田皇女(ひめみこ:中大兄皇子・長女、大海人皇子妻)が推定されています]
○牽牛子塚古墳の約20m南東に、床石、幅3m、奥行3.5m、高さ2.6mのドーム状天井石のある石室が残存し、石室(納棺場所)は内法2.4m長、幅90cm、60cm高で、漆塗木棺片並びに20cm幅のコ字形排水溝を検出されています。石槨は刳り抜き式横口石槨で、「鬼の俎板・雪隠」と同様の構造を成し、7世紀後半の築造と推定されています。出入口は南向きで、前に4m長、1m幅の小石敷き墓道を設け、牽牛子塚古墳の敷地の一部を取り壊して築造されたものと考えられています。
・本墳には石英閃緑岩が使用され、終末期古墳であり、牽牛子塚古墳と当古墳の位置関係などから、「日本書紀」に記載の斉明天皇とその孫・大田皇女(中大兄皇子・長女:大海人皇子妃)が葬られた位置関係と一致しています。
101210朝日朝刊35頁上半 石室拡大【越塚御門古墳・石室】

◆マルコ山古墳  [被葬者は、691年に没した川島皇子(天武天皇・持統天皇息子)説が出ています:前園]
○埋葬主体は、東から延びる尾根の南斜面後方を岩盤まで平坦に円弧状に穿ち、二上山凝灰岩切石を組合せた横口式石槨で、床・天井各4石、両側壁各3石、奥壁2石、扉1石から造成されています。内寸法は長さ約2.7m、幅1.3m、高さ1.4mで、南に開口し、墳丘周囲はバラス敷きで、版築で築かれています。墳丘の対角辺24m、見かけ上の高さ5.3mの二段築成された六角墳(多角形墳)で、床面・壁面とも2~7㎜厚の漆喰を塗装した、7世紀末~8世紀初め築造と考えられています。
○設営地は東から伸びる尾根の南斜面の「風水思想」における「四神相応」の地だったようです。即ち、キトラ(亀虎)古墳、高松塚古墳と石室の大きさ、形状が似ていて、「風水」の面からも共通的のようです。
○出土遺物に、人骨(60歳前後・男)、漆喰木棺破片[杉材を銅釘で組み合わせ、蓋は蒲鉾形横断面]、金銅製六花形棺飾金具、金銅製太刀金具等が認められています。

◆束明神古墳  [被葬者は、草壁皇子(689年没:天武天皇皇太子)が有力です」:河上⇔宮内庁は現「真弓陵」を「岡宮天皇陵」(諡名)と治定しています]
○高取町佐田の春日神社境内にあり、尾根の南腹の直径約60mの丘を削り、中央に対角長約30m、墳丘径20mの八角形墳として築成されたものとみなされています。尾根の南斜面にあり、「四神相応」の地と考えられています。現墳丘は直径約10mで、中近世の神社境内整備の結果で、終末期(6世紀後半/末)古墳では天武陵の45mに次ぐもので、7世紀の終末期後半に築造されたものと考えられています。
○本墳は450個以上の凝灰岩切石を用いた組合せ型横口式石槨を有し、平面は長方形、横断面が家型、南北約3m・東西2m・高さは2.5mの所から内側に傾斜させた家型で、盗掘により天井部が破壊されているので、数値は推定値です。凝灰岩切石の大きさは天武陵の墳丘表面の張り石と同じ大きさ(約厚さ20cm・幅50cm・奥行50cm)が用いられており、石室空間規模では天武陵に次ぐ大きさといわれています。石槨内から漆塗木棺残片、金銅製棺金具、歯牙(成人男子)などが発掘され、床には漆喰が1㎝厚で塗られていました。また、石室の壁の大きさは「黄金分割」(高さ・幅・奥行=1.236・2・3)になっています。
○『風水の地に叶っていない古墳は、「叶う」土地にするため、「壁画」で補って「風水」の地を造作し、「風水の地に叶う」古墳とした。即ち、「風水」にかなう土地は造作をする必要が無いから「壁画」など描かれなかった』(河上)といわれています。
束明神古墳【束明神古墳:石槨】
[佐田に伝わる伝承]幕末の頃までは、この古墳に玉垣をめぐらせ、当時佐田の村では春日神社横の古墳を岡宮天皇陵とのことで祭っていたのですが、明治時代になって岡宮天皇(草壁皇子)の御陵を指定するための調査を行うとの通知があり、これが正式に指定されると佐田の村は強制移住されるとの風聞が立ってしまい、村人は玉垣をはずし、石室を破壊してしまいました。役人がやってきて鉄の棒を墳頂から突いたが石室にあたらず、結局御陵は佐田の村の南300m森村の素戔鳴命神社本殿の地と定められ(現岡宮天皇陵)、神社は東側に移動させられた、と伝承されています。

◇真弓陵[岡宮天皇陵・宮内庁比定]    (高取町大字森)
・現・岡宮陵の位置は素戔鳴命神社の本殿が鎮座していた所で、立ち退きをしてそこを「陵」としたとのことです。なお、草壁皇子は天平宝字2年(758)に岡宮御宇天皇(おかのみやにあめのしたしろしめししすらみこと)と諡号されています。

◇下つ道(紀路)
・高取川に沿った「下つ道」の延長線上の「紀路」は、牟狭(むさ:これから現地名「見瀬」へ訛った?)と真弓の境界でもあったようです。

◆土 佐 (街村)
・高取城の城下町で、石畳と水路のある街道に沿って街並みが直線的に繋がっていますが、ここは「くすりの町」として薬草のプレートが埋め込まれており、観光案内所「夢創館」は赤格子の建物で、明治~大正期には呉服屋を営まれていました。
25000分の1_高取土佐【街村・土佐:国土地理院発行1:25000地形図「畝傍山」使用】

◇「札之辻」
・土佐町(土佐街道)から壺坂道への分岐点で[一般的に「下町の三ッ辻」を「札之辻」と呼ぶ]、当時、高札を建て道行く人々に「お触書」等を掲示した所であり、当時、「釘抜門」があって、町屋と家中屋敷の区切りとなっていました。幕末にはここに仮学問所がありました。

◇道標「右つぼさか・・・」と道しるべあり。

◆家老屋敷
○旧高取藩主筆頭家老屋敷であり、文永9年(1826)の建立で、間口39.1m、奥行4m、棟高5m規模で一重入母屋瓦葺き造り、腰板張りの部分は海鼠(なまこ)壁で、現在、旧藩主植村氏の居宅となっており、華麗な長屋門は県重要文化財に指定されています。

◇キトラ(鬼虎)古墳      [現状は、鉄骨コンクリート製蓋屋内に保存]
・尾根の南斜面を削り、二上山の凝灰岩(切石)を用いた、組合せ型横口式石槨/石室の高松塚古墳・マルコ山古墳と同様につくられ、径14m・高さ3.3mの円墳です。壁画は既報のとおりで、かつて漆塗木棺とともに人骨も発見されました。
四神白虎図_上キトラ下高松塚②【四神白虎図(上・キトラ古墳、下・高松塚古墳):山本原図】
四神玄武図上キトラ_山本② 【四神玄武図(上・キトラ古墳、下・高松塚古墳):山本原図】

◇(現)文武天皇陵 (檜隈安古岡上陵)
・第42代天皇、在位・697年~慶雲(きょううん)4(707)年、同年没。飛鳥岡で火葬。天武天皇の孫、草壁皇子の第1皇子、聖武天皇の父。現陵が「文武陵」と認識されたのは安政年間から。

◆高松塚古墳
・南東~北西尾根の付け根の南西腹部に築造されており、径18mの円墳、上段直径17.7m、高さ7.8m[解体調査時]、墓室は凝灰岩の切石を用いた組合せた横口式石室で、石室内法は266㎝長・104㎝幅・114㎝高で、木棺身は202㎝長・57㎝幅でした。
・遺骨・歯が発掘されており、歯磨滅度・喉仏骨化度等より、被葬者は男子40~50歳で死亡したものと推定されています。副葬品には海獣葡萄鏡、銀製太刀金具、ガラス小玉・粟玉、琥珀、丸玉がありました。

◆中尾山古墳
[被葬者は、「文武天皇」説が有力です。このことは、高槻の現「継体天皇陵」(太田茶臼山古墳)と「今城塚古墳」(発掘調査済)と同じ関係のようです]
○丘陵の陵線上から西南へ傾斜する緩斜面にかけて位置し、墳丘は直径22m・高さ3.2m、全面を葺石で覆われ、約1mの空間のある横口式石槨が内蔵された、対角長約30mの上三段・下二段築成の八角形墳です。
○石槨は底石(1石で1.7m大)、天井石(1石で1.32m大)に花崗岩の巨石を使用し、側壁2石、奥壁2石、隅石4石、閉寒石1石は凝灰岩の切石が使用されています。
・天井石を四柱石で支える石槨構造は東西90cm、南北93cm、高さ87cmの火葬骨器埋納用で、底石中央部分に方60㎝の彫り込みがあります。作りは火葬以前の石室の築成に類似し、古墳から火葬墓への過渡期の例で、現在は天井石のみ露出しています。築造は8世紀と推定されています。
中尾山古墳石槨_西光【中尾山古墳石槨:西光原図】

●藤原京と天武帝の想定陵園・陪陵
・天武帝の死後、持統帝は藤原京南西の南北約3km・東西約2kmに中国・陪陵制を模した天武・持統一族陵園・陪陵を設営したものと考えられています。この広さは岸俊男説の「藤原京の範囲」とほぼ同じ広さです。
藤原京_想定陵園範囲_河上【想定の陵園:河上原図】

[参考文献] 
1.河上邦彦監修:奈良県立橿原考古学研究所友史会編・「友史会遺跡地図」(25)、2011.
2.朝日新聞(大阪)朝刊、2010.12.10
3.福尾正彦:朝日新聞(大阪)夕刊、2010.11.16.
4.奈良県立橿原考古学研究所:現地見学会、2010.9.11.
5.毎日新聞・朝刊、2010.9.9.
6.山本忠尚:「高松塚・キトラ古墳の謎」、吉川弘文館、2010.
7.来村多加史:朝日新聞、2009.5.5付・朝刊.
8.西川寿勝・相原嘉之・西光慎治:「蘇我三代と二つの飛鳥:近つ飛鳥と遠つ飛鳥」、新泉社、2009.
9.明日香村教育委員会:朝日新聞(大阪)朝刊、2008.2.7。
10.今尾文昭・前園実知雄:白石太一郎編「古代を考える・終末期古墳と古代国家」,吉川弘文館,2005.
11.河上 邦彦:「飛鳥発掘物語」,産経新聞ニュースサービス社,2004.
12.来村多加史:講談社現代新書1736・「風水と天皇陵」,講談社, 2004.
13.河上 邦彦:講談社選書メチエ258・「飛鳥を掘る」,講談社,2003.
14.河上邦彦・菅谷文則・和田 萃:「飛鳥学総論」,人文書院,1996.
15.伊達宗㤗:「大和・飛鳥考古学散歩」、学生社、1996.
16.泉森 皎・河上邦彦・伊藤勇輔:臨川選書「大和の古墳を語る」臨川書店,1993.

【2012年12月8日実施】

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