◆<ひとこと>(第241回行事)戦国時代でも舅と息子の嫁が同じ廟には祀らないのでは・・

◎先日、「第241回行事」で、黒田官兵衛孝高の活躍の地「御着」を訪ねましたが、そこで見たものは、黒田重隆(現地説明盤では、官兵衛の祖父)と官兵衛生母・明石の方が同じ廟に祀られていました。そこで感じたことは、『いくら戦国時代でも、舅[重隆]と息子の嫁[明石の方]を同じ廟(御着)に夫婦のように並んで祀って、息子[職隆(もとたか)を離れた所(妻鹿)に祀ることはしないだろう』]ということでした。

●即ち、これは祀られている人たちの「血縁関係」の推定が間違っていることによるもの、と考えるのが妥当だ、ということです。当日の配付資料にも書きましたが、旧多可郡黒田庄の『荘厳寺文書』によれば、播磨・美作・備前の三国領した守護大名・赤松円心弟の子・黒田重光を初代とする播州黒田家の8代目・黒田重隆は官兵衛の実父であり、生母・明石の方と夫婦であり、「職隆」は小寺家の家老で、官兵衛の養父であったわけで、整合性がとれます*。斯様なところでも、江戸時代の史家・貝原益軒の偽作に無理があることが伺えます。テレビ・ドラマの方はどんどん進んいきますが、所々に「無理」が出て来そうですね・・

宮﨑信隆(副会長)

[*「第241回行事」・アーカイヴスをご覧ください]

 

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