◆第289回行事・アーカイヴス(2018年1月)

東海道五十七次 =守口~高麗橋=

 ●文禄3年(1594)、大坂と伏見に壮大な城を造り、併せて城下町も設えた豊臣秀吉は、両地を最短で結ぶために、毛利一族に淀川左岸の築堤(文禄堤)を命じ、堤上を街路「京街道」にしました。     

今回は、「京街道」に設置された伏見・淀・枚方・守口の宿場の中の、「守口」、即ち地下鉄・谷町線・守口駅より「東海道」最後の宿場・守口宿を通り、沿道の史跡や街道を巡り、「東海道」の終点・高麗橋まで歩きます

コース守口駅*~守口宿一里塚跡~盛泉寺~本町橋~守居神社*~千林商店街~(高殿7公園)~野江神社*~(JR/京阪・京橋駅*) ~京橋~地下鉄/京阪・天満橋駅*)~高麗橋(約11km)

◇京街道(大坂側からの呼称)・大坂街道(京都側からの呼)

○大坂の京橋(後に高麗橋)から淀川左岸に沿って北上し、淀を経て「京」に向かう街道で、文禄3年(1594)に伏見城の築造に着手した豊臣秀吉が、文禄5年2月に毛利一族に命じて淀川左岸に築かせた「文禄堤」が起源です。

○淀~京都間は、2経路が取られ、一方は桂川左岸を進む「鳥羽街道」で、他方は現在の宇治川右岸の淀堤を経て伏見に至り、伏見から「伏見街道」あるいは「竹田街道」を経て「京」中心部に達します。

○伏見から大坂までの道程は、五街道の一つである「東海道」の延長として道中奉行の管轄下に置かれ、伏見・淀・枚方・守口の4宿場が設けられました。「東海道」の大津宿から「髭茶屋追分」で「京」三条大橋へ向かう道と分かれ、京都を通らずに「大津街道」を通り、これら4宿場を経て大坂に至る道程は、参勤交代の経路としても用いられました。「東海道五十七次と呼ぶこともあり、また、淀宿・枚方宿間に「橋本」という遊郭を持った「間の宿」(あいのしゅく)が設けられていました。

○伏見・大坂間は淀川を利用した舟運が盛んであり、陸路の利用は大坂からの上り客が多かったのですが、明治時代には鳥羽街道を経るルートが「大阪街道」とされ、京都・大阪間の国道(旧京阪国道)も伏見を通らないこちらのルートが選択されました。

○なお、野江内代(ちんだい)~関目付近は「七曲がり」と呼ばれる蛇行状の道筋で、大坂城への速い敵軍の行軍を妨げる道行きになっています。

◇守口宿       (守口市本町1~2丁目、竜田通 1丁目、浜町1~2丁目)

○「守口宿」は「京街道」(大坂街道)の宿場で、守口市本町1~2丁目、竜田通1丁目、浜町1~2丁目付近にあたります。大坂を出て最初の宿場であり、東海道五十七次として江戸から数えると最終の57番目の宿場です。古くから交通の要地でしたが、「傳馬朱印状」制度により、元和2年(1616)に宿驛に指定され、江戸後期の『東海道宿村大概帳』によれば宿場町の長さは南北11町51間で、問屋場1・本陣1・旅籠27軒あり、「助郷」制も整備されました。

○枚方宿へ3里、大坂へ2里だったため、当初から「馬継ぎ」はなく、人足のみの勤めで、また淀川に面していながら川舟との連絡がなく、淀川舟運の発展につれて次第に貨客を奪われ、宿場の運営に影響を受けた一方、「清滝街道」(現・国道163号線)の分岐点だったこともあり、旅籠や茶屋が建ち並んで繁栄した側面もあったようです。

因みに「守口宿」で出された特産品の一つに、守口漬があります。現在も一部に宿場町の面影を残す家並みが残り、街道が淀川左岸の堤防(文禄堤)上にあった景観を見られます。

○「守口一里塚」の案内板と石碑の立つ場所が「上見附」付近と推定されています。「一里塚」は、江戸初期に江戸を中心に計画された「五街道」(奥州街道・日光街道・中山道・甲州街道・東海道)が整備された折に、一里毎に街道両脇に土盛造って里程を測る目印にされたものです。大名の宿泊時は庄屋・問屋ら村役人・宿役人が「一里塚」付近まで送迎したようです。

○また、国道1号線の八島交叉点付近は、かつて「札ノ町」と呼ばれ、交叉点に「高札場」がありました。

IMG_011八島交叉点旧守口宿札ノ道跡

【八島交叉点:守口市(旧・札ノ町跡)】                                     

 【コース地図(守口~高殿・赤破線:旧「京街道」・緑破線:当日コース[京阪商店街(南北)・千林商店街(東西)]):国土地理院発行110000地形図「守口」・「新大阪」】

コース地図守口高殿10000守口新大阪(1枡目500m四方・図上の左クリックにより拡大)

盛泉寺   (じょうせんじ・「東御坊」:守口市浜町1)

○教如(東本願寺第12代法主)を開基とする、東本願寺(慶長7年創建)の末寺で、慶長11年(1606)に創建され、「東の御堂さん」、「東御坊さん」と呼ばれています。本堂は、近くにある「西御坊」の「難宗寺」と同様、元和元年(1615)の「大阪冬の陣」の兵火により焼失した後、幾度も風水害を受けてきましたが、天保6年(1835)に再建されて現在に至っています。

IMG_0006盛泉寺_明治天皇聖蹟休息所盛泉寺】  

◇難宗寺   (なんしゅうじ・西御坊・守口市竜田通1)

○文明7年(1475)に越前・吉崎を退出した蓮如が、文明9年に「守口御坊」を創立したと伝わり、慶長16年(1611)には本願寺掛所に昇格し、「西御坊」と呼ばれました。元和元年(1615)の兵火などを経て、文化7年(1810)に再建されたのが現在の本堂です。

IMG_0007難宗寺Ⅱ太鼓楼難宗寺

 難宗寺大銀杏  

○「難宗寺」にある大銀杏は、樹齢約500年で、高さ約25m、直径約1.5m、枝張は約15mもあり、昭和50年(1975)大阪府の天然記念物に指定されています。

 ◇文禄堤   (守口市)

○文禄5年(1596)、豊臣秀吉は毛利一族に命じて、淀川左岸に京都と大坂を結ぶ陸路を「京街道」或いは「大坂街道」としてその距離約27㎞の堤防道を整備させました。その名残が本町付近の高い道路で、その下を一般道路が立体交差して遺存しています。

◇本町橋   (守口市本町2)

○「京街道」は、守口市駅付近では「文禄堤」の上を通っていて、街並より高くなっていて、市街道路と立体交差しています。

IMG_0315【本町橋:文禄堤(下側:一般道)

IMG_0012街道沿い民家 

【変形厨子二階・虫籠窓を遺存する町家:旧京街道】

 ◇守居神社     (守口市土居町2)

○「守居神社」は、醍醐天皇時代の延喜18年(918)の大洪水の折の4神の「お告げ」に基づき祀ったのが起源とされ、祭神は素盞鳴大神(すさのおのおおかみ)・賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ:上賀茂神社祭神と同じ)です。

[「社記」では天道神・太歳神・歳殺神・三輪明神・清瀧明神・日吉権現・新羅明神・三井神も・・]

IMG_0017_守居神社【守居神社】 

              
◇守口・京阪商店街・千林商店街・京街道           

○「京街道」跡が関目の交差点を森小路、千林方向へ行く小道に遺存しており、京橋方面は「都島通」として直線化され、野江内代辺りまで使われています。「千林商店街」も中ほどのごく一部が「京街道」に含まれていて、その部分だけは車が通ります。

IMG_0016_守口_京阪商店街

【順に、京阪商店街・千林商店街・旧京街道(南方へ)】

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【コース地図(京街道・七曲り[赤破線:旧京街道])・国土地理院発行1:10000地形図「新大阪」】(図上の左クリックにより拡大)

コース地図新森_成育説明入10000新大阪

◇京街道七曲り・関目神社     (大阪市城東区成育5)

○天正8年(1580)の「大坂城」築城の際、大坂東北方面の防衛として「京街道」に「七曲り」を取り入れて、敵軍の進軍を抑えるとともに、その「大坂の鬼門」の鎮護のために、「須佐之男尊」を勧請して「須佐之男尊神社」(通称・関目神社)を、毘沙門天・牛頭天王とともに祀りました。「関目」の名にあるように、当地で街道筋の見張りを行っていたようです。

IMG_0031京街道七曲り

【京街道・七曲り(100m弱先で曲がっている)】

IMG_0028関目神社【関目神社】

 【コース地図(野江神社~高麗橋):国土地理院発行110000地形図「大阪城」】

コース地図水神社_高麗橋10000大阪城(図上の左クリックにより拡大)

◇榎並城野江水神社     (大阪市城東区野江4)

「榎並城」は、元々城東区にありましたが、当地の東側に存在した室町幕府料所「河内十七箇所」に因み、別名を「十七箇所城」*(じゅうななかしょじょう)ともいわれました。当地は古来「榎並荘」といわれた旧大和川右岸と淀川の合流地点で、低地で淀川が氾濫すると被害を受け、現在の「野江水神社」一帯だけが僅かに高台になっていた土地に築かれたようですが、城跡は元禄17年(1704)の大和川付け替え工事により、地形が大きく変化し場所の特定が難しくなっているようです。

[*「二十箇用水」:寝屋川市を流れる旧20カ村による管理用水]

○「榎並」の地に関しては、楠木正儀(まさのり・正成三男)が応安2年(1369)に天王寺から「榎並」に退いたと伝わり、天文17年(1548)に三好長慶方が「榎並城」を攻めたことが史上の初見のようです。

天文18年(1549)に摂津・江口城(現東淀川区)において三好長慶と同族・三好政長が戦った「江口の戦」の戦端で三好政長は討死し、三好政勝も父の死をきっかけに瓦林城に去り、廃城になったようです。

○「野江水神社」は、水波女大神(みずはのめのおおかみ)を祭神とし、通称「水神社」・「水神さま」・「水神宮」・「野江神社」などと呼ばれています。

○天文2年(1533)に、三好政長が「榎並城」を築く際にたびたび水害を被ったので、水火除難の守護神として城内に小さい祠を造営し、祀ったのが起源と伝わります。

明治18年(1885)の大洪水で社殿が倒壊し、同21年に現在の社殿が再建されました。IMG_0033野江水神社【野江水神社】

◇一等水準点「交232」   (大阪市都島区東野田町1)

○N34°41‘44“ .0791、E135°31’39”.4793、標高・14594mIMG_0040一等水準点_交232②【一等水準点「交232」】

◇野田橋   (大阪市都島区)

○旧鯰江川に架かっていた橋で、江戸時代には「京街道」の入口にあたるため交通上重要な橋で、公儀橋に指定されていました。川は昭和5~6年の寝屋川改修の折に埋め立てられ、橋は撤去されました。

○淀川左岸は低湿地のため悪水対策に苦しみ、近江国愛知郡鯰江庄を本拠地とする鯰江備中守が野田城築城の折か、天正14年(1586))綱島の毛利備前守定春が設けたとも伝わりますが、始点は、今福村三郷橋付近で、その上流は「三郷井路*」と呼ばれていたようです。下流は、淀川(大川)と寝屋川合流地点付近で、延長1.4km、幅員平均27m、深さ1.8mほどと言われています。

(*「井路」(いじ):河内平野は低湿地が多くあり、悪水対策や農業用水確保のために縦横に掘られた水路)

IMG_0041野田橋跡碑_京橋駅西方【野田橋碑】

 京橋・大坂橋   (大阪市都島区~中央区)

○寝屋川(古大和川)に架かる橋で、「京橋」(橋梁)は「京街道」の起点でしたが、後に、高麗橋へ変更されました。「東海道五十七次」の終点(江戸・日本橋から137里4町1間)であり、大坂では数少ない公儀橋でした。江戸時代の擬宝珠には「元和九年造立」(1623)の銘があったそうです。北詰には「京街道」沿いに相生西町・相生東町・野田町の街並が形成され、川魚市場もあり、大坂の玄関口のひとつとして賑わい、南詰は大坂城の虎口のひとつである京橋口となっていました。大正13年に現在の鋼橋が架橋され、昭和56年には拡幅工事が施工されました。

IMG_0042大坂橋上から大阪城【大坂橋から眺める大阪城】

○なお、「大坂橋」は、天正13年(1585)に架けられた「大坂橋」に因んで命名された、「京橋」と並ぶ直ぐの下流側に昭和48年の架けられた歩道橋です。

 ◇一等水準点「3号館」   (大阪市中央区大手前1)

○N34°41‘18“ .8553、E135°31’05”.4069、標高・136820mIMG_0046一等水準点3号館_大阪合同庁舎

【一等水準点「3号館」】

 ◇高麗橋   (橋名・大阪市中央区)

○「東横堀川に架かる橋で、大坂城の築城に際して、西惣構堀として東横堀川が開削され、その際に架橋されたと伝わり、慶長九年(1604)八月銘の擬宝珠が発掘されました。橋名の由来には、東詰付近に難波高麗館(なにわのこまのむろつみ)が置かれていた説と、朝鮮国使来朝のために架橋された説などがあるようです。

○明治3年には大阪で最初の鉄橋に架け替えられ、「くろがね橋」などと通称されましたが、設計は本木昇造で、資材は英国から輸入されました。当時の日本の契約に対する認識不足により当初の2倍ほどの価格を完成後に追加請求され、外交上の問題にまで発展したようです。昭和4年には大阪市の第一次都市計画事業の一環として鉄筋コンクリート製のアーチ橋に架け替えられました。

○「大坂」に12あった公儀橋のひとつで、かつて「高麗橋」周辺は豪商の店舗が立ち並び、日本第一の商都・大坂の富が集中する、大坂の心臓部といわれました。

○江戸時代から明治初期にかけ、京街道、中國街道、暗越奈良街道、紀州街道、亀岡街道などの起点が順次高麗橋に変更され、また明治政府は「高麗橋」東詰に「里程元標」を置き、西日本の道路の距離計算の起点としました。

また西詰に高札場が設置されていましたが、明治以後、東海道本線の大阪駅が梅田に建設されて、商業の中心を梅田付近に奪われました。現在、橋上に阪神高速1号環状線が覆いかぶさっています。

IMG_0200高麗橋②【高麗橋・里程元標】

【参考文献】

1.今井修平。村田路人編:「大坂:摂津・河内・和泉」、『街道の日本史』(33)、吉川弘文館、2006

2.守口市編:「守口宿・盛泉寺・難宗寺・守居神社」、守口市ホームページ、2017

3.大阪市編:「野江水神社・野田橋」、大阪市ホームページ2017

4.上方史蹟散策会編:「京街道:高麗橋~伏見宿」、向陽書房、2002

5.大阪府編:「京街道」、大阪府ホームページ、2017

【2018年1月13日催行・案内:天正美治、編集:宮﨑信隆】

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