■第288回行事・アーカイヴス(2017年12月)

■伏見八名水 =首都「伏見」と名水を訪ねる=

●京都盆地の「伏流水」と桃山に降った雨水の伏流水が麓の伏見で湧き出して、「伏水」とも記されてきた「伏見」の名水となって現在でもあちこちで利用されています。それら「名水」の所在地とその歴史を辿りつつ、豊臣秀吉の造った「首都 伏見」跡を訪ねます。

【コース地図(破線):国土地理院発行125000「京都東南部」】

説明入コース地図伏見八名水25000京都東南部

(図上の左クリックにより拡大)

コース近鉄・桃山御陵前駅~御香水(常盤井:御香宮神社)~白菊水(鳥せい)~酒水(月桂冠大倉記念館)~閼伽水(長建寺)~[宇治川派流]~伏水(黄桜資料館)~[伏見総合庁舎]~金運清水(大黒寺)(白菊井:金札宮)~常盤井水(キンシ正宗工場)~京阪・丹波橋駅~[電車]~京阪・墨染駅~不二水(藤森神社)~京阪・墨染駅*(徒歩区間:約6km)

都の位置を変えた水

・京都盆地北部に、延暦13年(794)造営された平安京は、当初は四角形の都であったものが、井戸を掘っても水の出ない「右京」から水を求めて東や北へ移り住み、都は南北に細長い形に変遷し、次第に「右京」がなくなりました。

・天正19年(1591)に豊臣秀吉が京都守護のため約23kmに亙って築いた「御土居堀」の位置では、当時の街は盆地の東寄りで縦に細長く、都の東半分は高野川や加茂川が山から運んできた砂礫が鴨川となって都に流れ込んで洪水が起こり易く、西半分は水の出ない粘土層です。

◇地名の変遷と「伏水」の活用

・「伏見」の地名は、「俯見」・「臥見」・「伏水」とも書かれてきましたが、『日本書紀』には「俯見村」、『万葉集』には「巨椋(おほくら)の入江響(とよ)むなり 射目人(いめびと)の伏見が田井に雁渡るらし」(万葉集巻九、柿本人麻呂)と記され、『枕草子』では「伏見の里」、『新古今和歌集』には歌枕に「呉竹(くれたけ)の伏見」などと取り上げられているようです。

・江戸時代になると「伏水」も用いられるようになり、慶応4年(1868)には「伏水役所」(翌年、「伏水京都府出張庁」と改称)とも使われました。水に関わるこの地名は、伏見の港を表す「伏見津」[『伏見鑑』安永8年(1779)]などから転じたともいわれ、古くから水が豊かだったことを示しています。

・「伏見」では砂礫層の地質から豊富な水が湧出し、文禄3年(1594)に伏見城の造営とともに水その水を活用して酒造業が興りはじめ、その後も宿場町、港町の酒として発展し、明暦3年(1657)には酒造家83軒、造石量15,611石と国内有数の酒処になったといわれます。

・「伏見」に統一されたのは明治12年で、桃山丘陵からの俯瞰を意味する「伏見」と、水の豊かさを象徴する「伏水」を意味し、恵まれた自然のもと、現在の伏見では、「月桂冠」、「黄桜」、「神聖」の蔵元など17社が酒造組合に加盟し、酒造りに励んでいます。伏見の「名水」は、K・Ca分が適度に含まれ、Fe(鉄)分が少なく、地下50~150m深度からの汲み上げが多いようです。

・明治39年(2006)、伏見酒の製造量は旧京都市内の酒を上回り、旧市内の酒造業者も何社も伏見へ転出して、灘に次ぐ二大酒処へと発展していき、豊かな地下水「伏水」は現在も「伏見酒」を支え続けてます。

「首都 伏見」の痕跡

■町名に残る「首都」

・沿道には「毛利長門守」・「一柳監物」・「前田中納言」・「有馬玄蕃」、「毛利伊勢守」・「稲葉三十郎」・「平野権左衛門」・「竹中貞右」・「仙石左門」・「南部山城守」・「杉原伯耆守」、「金森法印」・「筑前中納言」・「羽柴長吉」らの大名屋敷が「伏見桃山時代」に並んでいました。

コース入伏見大名屋敷配置_山田他

【伏見城下町分布図:豊臣・木幡山城期:山田他原図(赤破線:巡検コース)】

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街路に残る「首都」

・東西の道路は、東側にある桃山からなだらかに下っていて、そこへ大名屋敷を設置するために平地化したので、緩い階段状の道路となっていました。

◆御香水(石井[いわい] 御香宮神社:伏見区御香宮門前町)

・近鉄・桃山御陵前駅から東へ100mほどのところに「御香宮神社」があります。

IMG_0154_御香水【御香水:御香宮神社】IMG_0252御香水   

●貞観4年(862)9月9日、(旧名・御諸神社)境内から水が湧き出し、よい香りが四方に漂い、この水を飲むと病気がたちまち治ったことから、この奇端により清和天皇から「御香水」の名を賜りました。昭和60年に「名水百選」に認定されています。しかしながら、現在は当社では浄化されていないようで飲水を進めていないのは残念です。

常盤井      

元々、伏見区桃山常盤町にありましたが、昭和32年(1957)、国道24号線の拡張工事時に破却され井戸の「井筒」は、御香宮神社境内の弁天社前の池の石橋になっています。「伏見七井」の1つとされた名水で、水が清く不変なので「常盤」と云われました。

●常盤御前が喉を潤したと伝わる「常盤井」の井筒は、元は伏見砲兵工廠の中にありましたが、埋め立てられたため、井戸枠だけがここに納められたそうです。また、「平治物語」に因って常盤御前が、今若、乙若、牛若(源義経)を連れて大和に落ちのびる途中この井戸で足を洗った事からこの名前が付いたという伝説もあります。

IMG_0156_井筒橋 御香宮神社境内

【井筒橋:御香宮神社境内・弁天社】

IMG_0117大手筋通②

【伏見・大手筋通:伏見一の繁華街で高いアーケードが続く】

◆白菊水    (鳥せい:伏見区上油掛町)

●「御香宮神社」門前の大手筋を西へ下って、近鉄戦を潜り、京阪腺踏切を渡って西進します。3筋目を左折して南下して300mほど進むと、左手東側にその酒蔵のような「鳥せい」本店が見え、その北側壁際に「白菊水」が湧出しています。

●「白菊水」は、直ぐ道路の向かい西側にある、創業が延宝5年(1677)の清酒「神聖」山本本家の酒作りに使われる、香りのよい飲み口の淡麗な日本酒を醸す名水とされています。

IMG_0121_白菊水鳥せい本店

【白菊水:鳥せい(水汲みの人が絶えない)

伝説的には、天太玉命*が、老翁と化し白菊を植え楽しんでいたところ、ある時旱害で稲が枯れた時に白菊の露を注がんと白菊を振るとたちまちに清水が湧き出しました。

IMG_0129_鳥せい本店

【「神聖」酒蔵一棟を改装:鳥せい本店】

*「天太玉命」(あまのふとだまのみこと)日本神話で、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の子で、天照大神が天ノ岩屋に隠れた際、天子屋命(あまこやねのみこと)とその出現を祈請し、また天孫降臨に五伴緒神(いつとものおのかみ)の一人として随従した。忌部(いんべ)氏の祖先神。

◆さかみず(酒水)    (月桂冠大倉記念館:伏見区本材木町)

●「白菊水」より200mほど南下すると、「月桂冠大倉記念館」につきます。如何にも酒造会社の街並で、道路脇には酒蔵が並びます。

●「さかみず」は「栄え水」にも繋がり、「月桂冠」の寛永14年(1637)発祥地に地下50mから湧き続けていますが、きめ細かく円やかな酒質を生み出す元になっています。

IMG_0139_さかみず 大倉記念館

【さかみずと旧酒蔵:月桂冠・大倉酒造】

IMG_0138_大倉酒造酒蔵煉瓦煙突

閼伽水(あかすい)   (長建寺・真言宗醍醐派伏見区東柳町)

●「さかみず」より南下して濠川に架かる弁天橋を渡り、中国風の朱色の「長建寺」竜宮門前へ着きます。土塀も朱色で酒処の界隈では異色の存在です。

IMG_0144_竜宮門 長建寺【龍宮門:長建寺

「長建寺」は、徳川3代まで使われた伏見城が元和5年(1619)に廃城後に、13代目伏見奉行・建部政宇(たけべまさのき)が元禄12年(1699)に壕川を開拓するとき、深草大亀谷の「即成就院」塔頭・多門院を移築して、建部姓の一字と長寿を願い名づけられた寺で、かつての中書島遊郭の一角になります。

IMG_0267閼伽水長建寺閼伽水:長建寺

●「閼伽水」は全硬度50 – 100(中硬水)で、神に供える水になっています。

◆伏水    (黄桜資料館:伏見区塩屋町)
●「長建寺」の竜宮門より「濠川」に沿って下流へ300mほど進み、北側へ川を渡って100mほど進むと清酒「黄桜記念館」があります。

●「伏水」は伏見の黄桜酒造本店に涌いていますが、伏見がかつて「伏水」と呼ばれていたことから命名されました。井戸の深さは約60mと深く、涌出水量も多く、円やかな口当たりは伏見の名水の味といわれています。

IMG_0134_黄桜 伏水【伏水:黄桜記念館】

◇白菊井     (金札宮:伏見区鷹匠町)

◇板橋白菊井    (板橋小学校:伏見区下板橋町)

●なお、「金運清水」の筋向いにある「金札宮」の旧「白菊井」は涸れており、「板橋白菊井」板橋小学校内に近年に掘られた井戸から湧水しています。

◆金運清水    (大黒寺:伏見区鷹匠町)

●「伏水」より北方へ600mほど進むと左手西側に「大黒寺」があり、「金運清水井」は正門を入って直ぐ左手にあります。

●「金運清水井」は、平成13年に新しく掘られた井戸で、金運良好、子孫繁栄、厨房守護、子孫繁栄などにご利益があるそうです。「大黒寺」は真言宗東寺派の寺院で、通称は「薩摩寺」と呼ばれていますが、当初は「長福寺」と称されていました。

IMG_0272金運清水_大黒寺金運清水井:大黒寺

●元和元年(1615)、薩摩藩主・島津義弘の守り本尊「出生大黒天」に因み、薩摩藩の祈祷所として、大黒天を本尊に寺名が改名されました。また、文久2年(1862)に起きた寺田屋事件で犠牲となった薩摩藩勤王党・有馬新七ら九士(薩摩九烈士)が裏の墓地に祀られており、墓石横の碑文は西郷隆盛の筆になります。

IMG_0112寺田屋九烈士墓碑西郷隆盛筆

【薩摩九烈士墓碑:大黒寺】

常盤井水        (キンシ[金鵄]正宗・工場敷地:伏見区新町11丁目

●「金運清水井」より100mほど北上して、右折し、更に左折して小学校の塀に沿って北へ300m余進むと、清酒「キンシ正宗」の工場があり、少し入ったところで、「常盤井」の竹筒からトクトクと湧き出しています。

●「常盤井水」は地下105mから常に変わらず、水量をたたえる井戸水という意味を込めて昭和49年(1974年)に「常盤井水」と命名され、中硬度の水質でFe(鉄)分が少なく、K,、Ca、Clなどが適度に含まれ、低温醗酵でゆっくり醗酵させ、キメ細かい円やかな酒質には欠かせないもののようで、清酒「キンシ正宗」製造の仕込み水に使用されています。

IMG_0276

【常盤井水:キンシ正宗工場】

●「常盤井水」から500mほど南東へ右左折して進んで、京阪・丹波橋駅で出ます。丹波橋駅から1区間乗車して墨染駅で下車します。

◆不二水(ふじのみず)        (藤森神社:伏見区深草鳥居崎町)
●京阪・墨染駅を出た道路は「伏見街道」で、東へ進むと、最初の交叉点を「伏見街道」に沿って北上し、一筋目を右折して100m余進むと「藤森神社」に着きます。

・鳥居を潜って奥へ進みますと、宝物館や正面に拝殿があります。「不二水」はその右奥にあり、滾々と湧き出ており、続々と途切れることなく2リットルのペットボトルを持った愛好者が詰めかけて水を汲み続けますので、写真もなかなか撮らせてもらえません。

・「不二水」は「ご神水」で「二つとないおいしい水」の意であり、武運長久、学問向上、勝運(馬の運)の信仰があります。

IMG_0281不二水藤森神社【不二水:藤森神社】

・なお、「藤森神社」の創建は、平安遷都以前に遡り、平安京を都に定めた桓武天皇により都の南(午)を護る「大将軍社」が設置されました。祭神は、本殿中央(中座)は素盞鳴命、別雷命(=上賀茂神社祭神)、日本武尊、応神天皇、仁徳天皇、神功皇后、武内宿禰の七柱で、神功皇后が摂政3年(203)、新羅より凱旋の後、山城国深草の藤森を神在の聖地として撰び纛(とう:竿の先端につけた黒い毛房飾り)旗(軍中の大旗)を立て、兵具を納め、塚を造り、神祀りされたのが当社の起こりと伝わります。現在、本殿東にある旗塚がその塚で、延暦13年(794)、桓武天皇より「弓兵政所」の称が授けられ、遷都奉幣の儀式が行われたと伝わります。

・本殿東殿(東座)の祭神は、舎人親王、天武天皇の二柱で、本殿西殿(西座)の祭神は、早良親王、伊豫親王、井上内親王の三柱です。

・「藤森神社」の西の鳥居を出て旧「伏見街道」を行くと珍しく角財を芯にした縦の土格子を切った「角虫篭窓」を設えた「厨子二階」のある商家がありました。しっかりと維持されています。

IMG_0089伏見街道沿い民家_厨子二階_角虫篭窓

【虫篭窓を設えた厨子二階のある商家】

 

【参考文献】

1.月桂冠ホームページ:「伏水」、2016

2.伏見酒造組合編:「伏見酒造組合一二五年史」、2001

3.山本真嗣:「伏見くれたけの里」、京都経済研究所、1988

4.吉田金彦:『85ふしみ(伏見)』・「古代地名を歩く」、京都新聞、1986.6.30.

5.吉田金彦:「京都の地名を歩く」、京都新聞出版センター、2003.

6.林家辰三郎他編:『京都市の地名』・「日本歴史地名大系第27巻」、平凡社、1979.

7.林家辰三郎編:『4桃山の開花』・「京都の歴史」、学藝書林、1969.

8.京都市編:「京都盆地の地下構造」、2003

9.山田邦和:『伏見とその城下町の復元』・「豊臣秀吉と京都」、文理閣、2001

伏見地下水位地図

【伏見の地下水位・伏見名水の湧出地域は地下3~5mが多い:京都市編】

【2017年12月9日催行、案内・編集:宮﨑  信隆】

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