◆第286回行事 アーカイヴス(2017年10月)

◇高取城

  • 奈良盆地と吉野地方の中間に位置する高取山に築かれた高取城は、日本三大山城の一つで、広大な規模と麓の城下町からの比高446mは日本一を誇りました。現在は石垣のみですが、かつての壮観な姿は次のように詠まれています:

巽高取  雪かと見れば雪でござらぬ  土佐の城

【コース地図(赤線:破線は帰途自由行動):国土地理院発行125000「畝傍山」】

(図上の左クリックにより拡大)

コース図高取城跡_説明入25000畝傍山

コース近鉄壷阪山駅~土佐集落(旧城下町) ~札の辻~上子島砂防公園~七曲り~一升坂~猿石~高取城跡(高取山584m) ~五百羅漢~壷阪寺 [解散:以後、近鉄・壷阪山駅行まで自由行動]

◇下土佐・上土佐集落   高市郡高取町 〇中世に「壺阪寺」の門前町として発達し、江戸時代には大和最高地の山城を持つ植村家・高取藩2万5千石の元城下町として発達しました。それは、山城は平時は不便なため、少数の城番を残し、藩政を行う陣屋を麓の土佐村に新設し、現在の上土佐が造成されたことによります。旧城下町は観覚寺から下土佐・上土佐へ町人の町、武家屋敷の長屋門が残る下子島へ続きます。 〇なお、地名「土佐」は、6世紀初頭、大和朝廷時代に労役として四国の土佐からこの地に入植した人々が故郷を偲んで名付けた地名と伝わります。

下土佐_旧城下町中心②【下土佐・旧城下町並み】

下子島・上子島集落

〇山城である高取城は平時は不便なため、少数の城番を残し、藩政を行う陣屋を麓の土佐村に新設し、現在の上土佐が造成され、家臣団も下子島付近へ移り住み武家町が整備されていきました。

下子島武家屋敷跡_海鼠壁【下子島・武家屋敷・海鼠壁】  IMG_0211柿171007【沿路風景】  

猿石 〇「二ノ門」外、城下町に下る大手筋と岡口門の分岐点にあり、制作は飛鳥時代の斉明朝(7世紀)と推測されています。高取城築城の際、石垣に転用するために明日香から運ばれたと伝わります。明日香檜隈(ひのくま)の吉備姫王(きびのひめみこ)の墓の域内にある石像(猿石4体)物と同類のものと考えられています。また、一部には郭内と城内の境目を示す「結界石」とした説もあります。 猿石【猿石】

◇高取城

〇標高583m、比高350mの高取山山上に築かれた山城で、豊臣秀吉は弟・秀長に「大和百万石」を与えると、高取にはその家臣・本多政武が1万5千石で封じられました。その時代に高取城の大規模な近代化、城下町の整備がなされました。後嗣・俊政は、関ヶ原の戦いで家康側・東軍に付いて奮闘したので所領を2万5千石に加増されますが、無嗣改易となりました。 〇寛永17年(1641年)徳川譜代旗本・植村家政が2万5千石で後期高取藩が成立して、以後14代228年・明治期まで続きました。 〇なお、創建は元弘2年(1332年)、大和高市一帯を治める豪族・越智那澄一族により、標高583mの高取山頂に砦のような城を築城後、山頂を引きならし、尾根筋にも曲輪が造られ、要所に掘割も造られて守りとされていました。 高取城址_天守跡【高取城址】

〇また、高取山上には、三角点が設置されています。 IMG_0222高取山頂標識

【高取山上・三角点標石(平成28年11月調製の地形図では583.6m)

◇五百羅漢像 〇「壷阪寺」の奥の院とも呼ばれる場所に、多数の石像群が遺存しています。豊臣家の重臣・本多氏が高取城を大規模修築した際に、石工たちに命じて掘らせたという説が伝わります。

五百羅漢像Ⅱ_壺坂寺奥之院香高山【五百羅漢像】

 壺坂峠  (高取町)

〇奈良盆地と吉野川との間に広がる龍門山地を越える峠の一つで、標高359mにあり、五百羅漢像群の南西方になります。

◇南法華寺(壺坂寺)  (真言宗壺坂山・西国三十三カ所第六番札所)

〇壷阪寺(南法華寺)は、高取城跡から西へ2㎞ほど下ったところにあります。  

〇大宝3年(703年)に建立された観音信仰が盛んに行われてきた霊場で、平安時代の随筆『枕草子』では「寺は壷阪、笠置、法輪」と賞賛されており、西国三十三ヶ所第六番札所となっています。境内には国文化財指定の礼堂・三重塔、天竺渡来の大観音石像があり、本尊・十一面千手観世音菩薩は眼病に霊験があると伝わります。                壷阪寺三重塔【壷阪寺三重塔(明応6年(1497)建立)

〇大観音石像は、インドで壷阪寺が行った社会活動に対し、インド政府より感謝の意を表して贈られた石仏で、延べ8万人の日本とインドの石工によって、4年7ヶ月の歳月をかけて彫られました。石像としては世界最大の大きさのようです。  

【参考文献】 1.高取町編:「壷阪寺・高取城跡」、高取町ホームページ、2017

【2017年10月7日催行・案内:関谷正次朗・編集:宮﨑信隆】

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