■第285回行事・アーカイヴス (2017年9月)

■武庫川・加古川の分水界 と 妻入商家群の町 篠山

 ●篠山市には西紀の栗柄峠・鼓峠(由良川水系・加古川水系)、田松川(武庫川水系・加古川水系)と加古川水系に関連する三ヶ所の「谷中分水界」が3カ所ありますが、今回はその中の人工河川「田松川」の「水分れ」と城下町「篠山」の「妻入商家群」を中心に辿ります。

【コース地図(赤破線):国土地理院発行125,000「篠山」】

(図上の左クリックにより拡大)

コース入_田松川_篠山25000篠山

コースJR・篠山口駅*~田松川水分れ(武庫川・加古川)~篠山口駅~[バス]~篠山市街(二階町~篠山城跡大書院~武家屋敷安間家史料館~河原町妻入商家群~(丹波古陶館)~立町~旧篠山地方裁判所[市立歴史美術館])~二階町[解散](~[バス]~JR・篠山口駅*)   [約8km]

◇武庫川水系(武庫川)と加古川水系(篠山川)の分水界<人工「水分れ」  

○篠山市は兵庫県の中央部に位置しており、西紀の栗柄峠、鼓峠、篠山口駅前の田松川と三ヶ所の「谷中分水界」がありますが、一般的に分水界は、山の峰がその役割を果たすことが多く、平地にある分水界を「谷中分水界」といいます。 IMG_1478

【田松川分水界(南側から)と第2水門(北側から)】

IMG_1480_分水界付近の第2水門

○「田松川」は、平地(標高195m)を流れる河川で、山から流れ落ちる水は別々の川となり、北へ流れる水は加古川へ、南へ流れる水は武庫川へと注いでいましたが、明治8年(1875)に丹波と摂津の物資を運搬するために開削された運河により、両水系が結ばれ、一本の川のなかに分水界が存在する河川が生まれました。その「運河」の開削事業に尽力した当時の豊岡県参事「田中光儀」と、豊岡県篠山支庁詰めの「松島潜」の頭文字をとって「田松川」と命名され、現在も、「田松川」の分水界より水は、北の加古川と南の武庫川に「分流」することになっていますが、現実は「堰/水門」により、南北流の水流調節をされ、自然の流れは殆ど見えません。  

篠山町役場 (大正ロマン館)  

○「大正ロマン館」は、大正12年に竣工した旧町役場で、現在は土産物屋・食堂として再利用されていて、将に大正ロマンを醸し出しています。

IMG_1483_篠山大正ロマン館大正12年旧篠山町役場大正ロマン館

 篠山城跡(別名・桐ヶ城)・大書院(再建)  

○当初の「篠山城」は、慶長14年(1609)に松平康重に家康が「篠山」に「天下普請」として、西國大名15か国20家に命じて造らせた大坂城を睨んだ城です。 岩盤で出来た小丘陵「笹山」に築かれた平山城ですが、南に篠山川、東に黒岡川が流れ、北二山地のある要害の地であり、普請惣奉行・池田輝政、縄張・藤堂高虎がと務め、国の史跡に指定されています。天守は家康の命により中止されたとのこと。 ○城普請は、穴太衆の指導による「穴太積」で「高石垣」が造られ、約7カ月の突貫工事で城主が移住しました。同じ天下普請の名古屋城の件もあり、急いだようで、家康の命により天守は造成中止となりました。

IMG_1485城址大書院篠山城 大書院

○松平康重は笠間3万石より八上5万2千石入封され、「大書院」が築城時に建てられましたが、昭和19年の失火により焼失して、平成12年に漸く再建されたものです。木造住宅建築としては規模が大きく、現存する同様の建物では京都・二条城の「二の丸御殿遠侍」に匹敵する建物で、二条城の御殿は将軍上洛時の宿所であるのに対し、当「大書院」は一大名の書院としては破格で、古式の建築様式を備えたものです。復元された建物は平屋建てで北(妻側)を建物正面とし、屋根は入母屋造、柿(こけら)葺きとなっています。

IMG_篠山城縄張図_篠山市教委_天保8年 【縄張図:篠山市教委(天保8年[1837]) IMG_1495南堀

【篠山城跡・南外濠:天下普請の城で、幅広く50m以上ある】

○城郭の建設当初から天守閣の建築計画が無く、石垣の高い城跡は、大書院から南外濠側へ抜けて、南馬出跡を経て、市街東南部の河原町方面へ出る時に、その様相が詳しく見られます。

IMG_1492篠山城南東角石垣【高石垣:篠山城跡・東南角】  

○城跡南外濠東端のから「黒岡川」を渡って、「河原町」商店街へ入るまでの300m程の間に、かつての萱葺屋根を全部瓦葺きに替え、破風は家紋によって封じた民家が見られます。

IMG_1497【破風を家紋で封じた民家:南新町】

篠山市立武家屋敷安間家史料館             

○本館は天保元年(1830)以降に建てられた武家屋敷で、平成6年~7年に全面的な改修を行い、史料館として公開されました。 <安間家の概要>天保元年以降に建てられた武家屋敷で代々安間家の住宅として使用され、禄高十二石3人扶持(天保8年頃)の徒士住宅で、入母屋造,茅葺きで間口6間半(約13m),奥行7間半(約15m)の曲屋であり、建築当初の形よく遺存しており、平成6年に篠山市指定文化財となっています。

IMG_0022(1)市立武家屋敷安間家史料館

◇篠山・河原町妻入商家群              

○篠山城跡を囲む篠山市街の東南部に位置し、篠山城築城の折には強への玄関口にあたる河原町が最も早く城下町としての整備が行われています。東西約1kmに亙って延びている「河原町」商店街に入ると、いわゆる「妻入商家」が続々と並んでいます。

IMG_1499②河原町妻入り商家群入口河原町妻入商家群入口:河原町

  ○「河原町」商店街の西端付近には比較的小規模の商家が並び、妻入建物に「袖壁」(卯建つ)が設えてない建物が多くみられますが、所々にあるやや大規模の商家もあり、「卯建つ」も設えてあります。例えば、川端家住宅などは間口9間半で奥行70間の約700坪もある、平入り(当地域では珍しい)入母屋造りで、厨子二階建ての改造虫籠窓が設えてあります。

IMG_1500卯建つ無

比較的小規模の妻入商家・3軒とも卯建つ(袖壁)が無い:河原町

IMG_1501川端家住宅入母屋平入り厨子二階改造虫篭窓小卯建つ_奥行70間700坪

【平入屋根庇の両端に小さな袖壁(卯建つ)が設えてある川端家住宅:河原町

○厚壁を思わせる「卯建つ」もあり、維持している柱或いは下の庇への負荷が気になります。

IMG_1510卯建つ珍

【厚い両卯建つ(二重袖壁)を設えた妻入商家:河原町】

○篠山城築城の際に、城下町の整備がなされ、京への玄関口である「河原町」が最も早く着手されました。当時から何代にも亙って住み続けている人も多く、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、千本格子や荒格子、袖壁/卯建つなどがかつての城下町の街並を遺存しています。

IMG_1505

【千本格子、袖壁(卯建つ)、虫籠窓、一文字瓦、二重庇を設えた妻入商家:河原町】(河原町西端近く)西坂家住宅は、江戸時代に建てられた妻入の木造2階建、入母屋桟瓦葺きの塗屋造りで、2階の外壁は白漆喰仕上げで「出格子」が設えられ、1階は下屋が張り出し、格子戸が取り付けられています。元、綿花栽培や醤油醸造など営む豪商だったので、間口が広く主屋の隣には物品蔵が配置されていて、篠山市指定文化財に指定されています。

西坂家妻入商家Ⅳ

虫籠窓、一文字瓦二重庇設えた妻入商家:西坂家住宅・河原町

丹波古陶館  

○なお、河原町へ西側から入って暫くすると北側に「丹波古陶館」がありますが、館内には、丹波焼の創成期から江戸時代末期に至るまでの約700年間に作られた代表的な品々を、年代・形・釉薬・装飾等に分類して展示され、館蔵品中、312点が「古丹波コレクション」として兵庫県指定文化財となっているそうです。

丹波古陶館Ⅱ①③丹波古陶館  

篠山市立歴史美術館(旧・篠山地方裁判所) 

○「二階町」通り中程の北側に、「篠山市立歴史美術館」があります。

○明治24年(1891)「篠山地方裁判所」として建築され、昭和56年まで本来の目的で使用されてきた最古の木造の裁判所を、重要建造物として末永く保存するため、外観および旧法廷を従来の姿で残し、他は美術館用に内部を改築されています。 篠山市立歴史美術館_旧地方裁判所Ⅳ①③

篠山地方裁判所(市立歴史美術館)  

○篠山地方は、慶長14年(1609)、徳川家康の命によって築城された「篠山城」を中心として、城下はもとより、多紀郡(現篠山市区域)全体が一つの完結した地域を構成していたので、一つの「地方裁判所」が設置されたものと考えられます。

【参考文献】                

1.篠山まちなみ保存会編:「城下の佇まいに息づく暮らし河原町」、下河原町伝建保存会、2011

2.篠山商工会編:「丹波篠山の歴史」、篠山商工会、2016.

3.兵庫県高等学校教育研究会歴史部会編:「兵庫県の歴史散歩」、山川出版社、1990

4.橘川眞一:「篠山城」、『ひょうごの城』、神戸新聞総合出版センター、2011

【2017年9月9日催行、案内・編集:宮﨑信隆】

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