■第282回行事・アーカイヴス(2017年6月)

★能勢街道を歩く(Ⅰ)梅田・中津・木川・三国:周辺の文化財・景観    

 

●かつて、能勢・池田更には國境を越えた丹波の村々から、大阪へ薪炭、酒、米・栗・柿・寒天その他の農産物、木材、石材、銀・銅などの搬出、その帰途には大阪の色々な「都会の産物」を持ち帰られて、交易が続いていた。その遺蹟の現状を訪ねます。今回は大阪市内の出発点~淀川渡河地付近までです。

コース地図Ⅰ天神橋東梅田10000大阪城③

【コース周辺地図(赤破線:能勢街道(西天満~東梅田):国土地理院発行110,000「大阪城」(1枡500m四方)

(図上の左クリックにより拡大)

 コース:地下鉄・御堂筋駅(南改札口)~高麗橋~(西天満小学校)~~西寺町~梅田東~茶屋町~萩之橋跡~(中津公園**)~[新淀川大橋]~[西中島]~木川~阪急京都線踏切~JR貨物線踏切~阪急・三国駅(約9km)

コース地図Ⅱ中津界隈10000西九条③

【コース地図(赤破線:能勢街道(中津付近):国土地理院発行110,000「西九条」

◇「能勢街道」、大阪市北区中津1丁目1萩之橋跡(大淀警察署近く・西成郡中津村大字下三番)から池田市を経て妙見山の能勢妙見堂に至る街道です。

現在では旧街道に並行する、国道176号線・大阪~豊中~池田および国道173号線・池田~多田~能勢~篠山(但しバイパス等を除く)の通称・別称として使われることも多いです。

なお、明治14年の大阪府統計表では、県道の格付けで起点は下三番村、終点は能勢郡吉野村となっており、明治25年の同書では中津村大字下三番国道第26号線分岐点が起点となっています。

旧中津村大字下三番付近略図②③

【「能勢街道」と「中國街道」の分岐点・旧中津村大字下三番付近:安間原図】

◇概要

大坂の中津を基点とし、十三、三国、庄内、服部、岡町、石橋、池田、木部、古江、多田、一ノ鳥居、尾根筋を通り妙見山へ至る道路で、明治9年(1876)に「太政官達60号」で道路の種類及び等級が定められた際、「能勢街道」は大阪府下で3本の「一等縦貫線」の1本に掲げられていました。

当街道は池田や能勢で産する酒や衣類、木材が当街道によって大坂へ運ばれ、更には能勢から奥に続く丹波國の米、栗、炭、銀、銅などの搬出路でした。終着地の能勢妙見をはじめ、沿道には服部天神宮、東光院(萩の寺)、原田神社、多田神社など社寺が並び、街道の途中から入った中山寺、勝尾寺などを含めての参拝路としても賑わっていました。

明治27年(1894)、岡町~池田間は、かつて刀根山(大阪大学豊中キャンパス南方)回りの山道を通り、坂が急で物資運搬に支障をきたしていたため、現在の阪急・豊中駅付近から石橋にかけ、比較的平坦な新道が開かれ、これを「新能勢街道」といい、現在の国道176号線とほぼ同じです。

 旧中津川新淀川付近略図②③

【百年前の中津川と能勢街道:安間原図】

現在、大阪市~池田市は阪急・宝塚線と国道176号が、池田市~妙見山麓まで国道173号線及び国道477号線が並行していますが、川西市以北では、能勢電鉄・妙見線が並行します。これら鉄道や道路の整備によって当街道は衰退したが、現在もかつての道筋の多くが残り、生活道路として利用され、旧「伊丹街道」と交差する岡町付近では商店街となっています。

阪神淡路大地震により、街道沿いの古い木造家屋は大きな打撃を受け、当時の街道沿いの家屋は建て替わり、駐車場などになりして、かなり少なくなりました。なお、明治期の「能勢街道」は、大阪・天神橋を起点として、長柄の渡し(淀川)、十八条町、小曾根の渡し(神崎川)、高川堤防道、と続いていました。

◆里程元標  (高麗橋)

大坂城築城の折に外堀として改修された東横堀川に、「高麗橋」はその頃に架けられ、慶長九年(1604)銘の鉄製擬宝珠が天守閣に遺されています。江戸時代には幕府管理の「公儀橋」12橋中、格式高く西詰に幕府御触書慶事の制札場があり、諸方への距離を測る「起点」になっていました。明治3年に大阪初の鉄橋に、昭和4年に現在の鉄筋コンクリート・アーチ橋に架け替えられました。

IMG_0200高麗橋③【里程元標】

西天満 

・明治初年に建てられた西天満小学校により、それ以南の旧「能勢街道」は廃絶となったので、同校の玄関前から出発となります。 

西寺町

・「お初天神」の東側に「藤井寺」から「幡龍寺」まで13カ寺が東西に、その中程の野崎町を「能勢街道」は北上し、北西に太融寺へ抜けます。

IMG_0221③梅田東地区飲食店街【梅田東地区飲食店街】

◇アドエ    (旧西成郡北野村字アドエ[安曇江?])

・「續日本紀」に記載の、天平16年(744)2月に聖武天皇が御幸して松林で遊覧したときの「アドエ」かもしれません・・。

難波都の外宮を現・船場・島之内に造り(外京中軸線が現・堺筋西側沿い)、そこへ能勢街道・紀州街道・奈良河道を結んだとも考えられています。

◆綱敷天神社(北野天神社)

・第52代嵯峨天皇の第17皇子・源融が父の追悼のため承和10年 (843)に創建した「神野太神宮」が始まりです。延喜5年(901)正月に菅原道真が大宰府へ赴く時に立寄って梅花を愛でたと伝わります。死後の正歴4年(993)閏10月の「贈太政大臣」を機に道真が合祀されたようです。

IMG_0216③網敷天神社【網敷天神社】

◆鶴乃茶屋   (茶屋町「NU」前)

・明治20年建立の跡碑より明治期の料亭跡と推定されています。

旧中津村大字下三番付近略図②③

【「能勢街道」中津川渡河地点付近・約100年前:安間原図

下三番

・途中、東側に「富島神社」があり、灯篭には「享保十一年丙午歳」「光立寺村講中」と彫られています。(明治22年以後、中津村)                 

中津川

・明治43年に旧中津川を廃し、新淀川への付け替えが完成し、毛馬閘門を設置され、旧「能勢街道」付近では河幅は約750mです。

旧木川村中津川付近略図②③【旧木川村付近略図:安間原図】

コース地図Ⅲ中津木川三国10000十三③

【コース周辺地図(破線:能勢街道(淀川・木川~三国):国土地理院発行1:10,000「十三」】

(図上の左クリックにより拡大)

北野村

・発足は明治22年ですが、同30年に大阪市へ編入されました。

・旧西成郡中津村大字下三番で、「能勢街道」を国道26号線から分離していましたが(大阪府誌・明治36年)、「一等縦貫道」(国道)ではありませんでした。

・府立北野高校は旧「北野村」由来で、旧制「北野中学」跡は現大阪府済生会中津病院となり、旧制府立中学時代の明治35年に北野芝田町に移転(旧北野村)し、昭和6年に十三(昭和49年に「新北野」)再移転しています。

木川村       

・JR宮原操車場駅踏切と阪急・京都線踏切の2カ所には「能勢街道(踏切道)」の標札が標示されており、新淀川の河川敷になった旧中津川堤防・対岸への新橋の位置には、一時期は「新橋渡し」が通っていました。

◆三国

・元・豊島郡菰江村字三国から明治22年に同庄内村大字菰江字三国になりましたが、南側の対岸・旧西成郡新在家村との間に神崎川が流れ、これが旧豊島郡と旧西成郡の郡境であり、明治8年*に三国橋(明治6年仮)が架かるまでは「三国の渡し」で渡河しました。

・地名「三国」が川の南側になったのは、明治43年に現阪急・三国駅が開設されて以来で、元来の「豊中」の「三国」は忘却されつつあるようです。

(*明治11年とも。現・三国橋は昭和35年架橋)

【参考文献】

1.瀧 健三編著・安間安人原著:「能勢街道の風景」、ドニエプル出版、2015

2.神野清秀:13.能勢街道・「大阪の街道」、松籟社、1989.

【2017年6月10日催行、案内・編集:宮﨑信隆】

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