■第277回行事・アーカイヴス(2017年1月)

風の神 と 龍田越え 

・古代の河内・大和間の往来には、葛城・金剛連山の「竹内峠」・「水越峠」を越える路とともに、「龍田越え」が利用されていました。

・「龍田越え」には、南路・中路・北路がありましたが、今回の「行事」では、「中路」(雁多尾畑~留所山~三室山)を、JR・河内堅上駅から出発して青谷集落を通り、龍田本宮(大社)に向かって歩きます。龍田本宮は「風の神」として崇められてきましたが、途中「御座峰」(風の神・降臨地)、「伝龍田神社本宮跡」の石碑がある所を訪れます。なお、政権が藤原京へ移ってから、「龍田越え」が大和から難波京への幹線公路となりました。

コース地図説明入25000信貴山大和高田③

【コース地図(赤破線):國土地理院発行125000地形図「信貴山」・「大和高田」】

(図上の左クリックにより拡大)

コース/河内堅上駅~金山彦神社~金山媛神社~御座峰~龍田古道里山公園~留所山~伝龍田神社本宮跡~三室山(四等三角点)~龍田本宮~磐瀬の杜~JR三郷駅~久度神社~JR王寺駅(約11km)  

金山彦神社   (柏原市青谷)

○「金山彦神社」は、旧大県郡の式内社で、製鉄の守護神・金山毘古を祀る神社です。この周辺では古代に製鉄が盛んに行われ、朝鮮の言葉で鉄・刃物を「カリ」、「カル」と言い、「カリンドオバタ」とは製鉄・刃物作りに携わる人のいる場所との説があります。「かりんど」は刈人と書くことも出来、「刈」の意味の中には鎌も含まれるようです。

IMG_0065③金山彦神社金山彦神社

○『古事記』の「国生み」に続いての「神生み」の条に「伊邪那美神は、火の神を生みしによりて、遂に神避りましき。」とあり、「亦の名は火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)と謂ふ。この子を生みしに因りて、ほと炙かえて病み臥せり。たぐりに成りし神の名は金山毘古神(カナヤマビコノカミ)、次に金山毘売神(カナヤマビメノカミ)・・」と記されており、古い神格の金属神なのか、後に多くの金属神を統合して構想された神なのか不明ですが、「嶽山」の頂上にあったものが、現在地に移転したとの説が有力です。

○なお、当神社には、平安末期~鎌倉初期の作像と推定されている木彫彩色で像高20m以下の、やや小型の男・女神像計8体が祀られていました。これらは、現在地に遷座す前の「嶽山」に鎮西時代に製作されたものと推考されています。

○平成 10 年、古代の方式で鉄塊を造り、現在、炉の一部が残されている古代の製鉄(たたら)が復元されました。

金山媛神社  (柏原市雁多尾畑[かりんどおばた])

○「金山媛神社」は、「嶽山」の頂上にあった説と、元々から現在地にあった説(宮司)があり、平成に再建されました。式内社ですが、再建中は本殿背後の磐座が見えて、祭祀場のように見えたようで、祭神は金山毘売神です。

IMG_0074③雁多尾畑集落雁多尾畑集落】

○平安末期~鎌倉初期に瓦窯址付近から(その南部を削平して)現在地に遷座されたようです。 IMG_0070③金山媛神社金山媛神社

◇御座峰・龍田神社本宮

○刻印された石碑がある標高321mの、「龍田山」の主峰ともいわれ、「風の神」降臨の聖地と伝わります。本宮跡近くには五基の磐座が建っています。

IMG_0078③龍田本宮御座峰【伝龍田本宮御座峰(2013年写)

◇龍 田

○「龍田」とは、官幣大社「龍田神社」本宮とその本宮から勧請された同新宮の所在する周辺地域ですが、本来は本宮の所在する地域周辺であり、「龍田本宮」の「神南備」*は本宮を取り巻く森林と考えられています。

(*「神奈備」(かむなび・かんなび・かみなび):神道において、神霊(神や御霊)が宿る御霊代(みたましろ)・依り代(よりしろ)を擁した領域のこと。 または、神代(かみしろ)として自然環境を神体とすること)

◇龍田山・龍田越え

○「龍田越え」で越えるべき「山々」はどこをさしているのかは明確ではなく、特定の主峰が規定されてきていませんが、古来、生駒連山南方で、大和川(山門川)より北方の山地の地域を指し、三郷駅西方の高山集落西側の低い東西に広がる標高137.2mの丘陵(三室山)と、その西側にある通称「とめしよ(留所)の山」(276.4m)辺り、強いて指すならば、雁多尾畑北方約500mにある標高321mの高地「御座峰」を指すことになるかもしれません。

○「龍田越え」の三路については、

①「北路」は、龍田本宮~今井~御座峰南側・稜線道を通るので、やや迂回路になっています。

②「中路」は、龍田本宮~高山(「立野」内)~三室山(137.2m)~留所山(276.4m)~御座峰南側・稜線道を通ります。

③「南路」Ⓐは、龍田本宮~西浦~磐瀬~「龍田川」(大和川)右岸~峠集落~峠八幡社を通ります。

③「南路」Ⓑは、龍田本宮~高山(「立野」内)~峠集落~峠八幡社を通ります。これは、日本書紀・天武紀の「龍田関」を設けて公道とされ利用された。

峠八幡社からは㋑~雁多尾畑、㋺~亀瀬八幡社~青谷道(亀瀬川<大和川>沿いの道)となります。

◇龍田古道里山公園

○柏羽藤環境事業組合の一般廃棄物処分場跡地を公園化されましたが、今後も整備が継続されます。

◇留所の山(小鞍の峰・嶽山)

○「留所の山」を含む近辺から鉄滓がでることから、「留所の山」は「御座峰」から吹き下ろす「風」を利用して製鉄が行われた場所と言われており、製鉄炉=蹈鞴(たたら)炉*跡らしきものは検出されていませんが、自然「風」で製鉄を行ったのではないかとの説があります。他方、留所の山の鉄滓は鍛冶滓との説もあるようです。「金山彦神社」・「金山媛神社」は以前はこの地にあった者が、遷祀されたと推考されています。

◇磐座・伝龍田神社本宮

○「三室山」に向かって下ると、左側繁みに磐座5基が見えます。直下に「伝龍田神社本宮址」と彫った石標あり、かつて龍田神社が鎮座していた処と伝わります。

IMG_0086③磐座址_龍田本宮前坐地【磐座址】

◇桜植樹

○萬葉歌人・大伴家持が詠んだ「龍田山 見つつ越え来し 櫻花 散りか過ぎなむ 吾が帰るとに」にあるように、龍田山は古来、桜花でも高名であったようです。桜花復活のために「NPO法人・龍田三室山桜の会」が設立され、ボランテイア活動により2005年より桜植樹が行われ、1号園から15号園にかけて会員2000名近い人たちにより約4000本が植樹されてきました。

◇龍田川

○現在では、王子町東部を北から南へ流下する、生駒川下流のことを指していますが、旧来の名前は「平群川」で(古今目録集)、龍田本宮東南を南西に流れる「大和川」を「龍田川」とよばれていました。

◇三室山

○JR三郷駅西方と、斑鳩町南西部の小丘の2カ所がありますが、

①三郷駅西方の現三郷町から柏原市「高山」集落*付近とその西側の東西に広がる頂上に、標高137.2mの四等三角点がある丘陵です。

(*「高山」集落:現柏原市で、(現三郷町)立野の垣内の一つでしたが、かつてはここまで河内国だったと推測されています。開村時に境界が変更されたと推考されており、現在は住宅地の中に埋もれています)

●河内国中河内郡(現柏原市)と大和国生駒郡(現三郷町)の県境に位置し、生駒山脈の最南端部を占める「龍田山」(立田山)の一部をさして、「三室山」と称し、「龍田神社」の神域で、古くより人々に崇められ、親しまれたところです。古代より「龍田山」を越えて河内国大県郡(現八尾市など)に通じる道を「龍田越」と称し、「亀の瀬越」とも呼ばれてきました。

●『和州旧跡幽考』*に「本宮より4町ばかり。三室は神の社をいへり。三室山は神のいます山(神奈備山)なり」とあり、『新勅撰集』にある「竜田川みむろの山の近ければ紅葉を浪に染めぬ日ぞなき:関白左大臣」の歌を載せています。ここで歌われている龍田川は現在の龍田川(大和川の支流)ではなく、大和川本流のことです。

(*『和州旧跡幽考』:延宝9年(1681)に刊行(実際は翌年の天和2年(1682))された大和名所記で、内容は20巻から成り、大和15郡にわたり大小の旧跡寺社について記しており、著者・林宗甫は大和郡山の俳人で、屋号を蝋燭屋と称しました)

・「たつた川もみぢばながる神なびのみむろの山に時雨ふるらし」(よみ人知らず)、「三室山」は歌枕で、『古今集』、『後拾遺集』に 「嵐ふくみむろの山の もみぢ葉はたつ田の川の錦なりけり」(能因法師) などと詠まれ、こちらの三室山・龍田川(=大和川)の情景が述べられており、この「龍田川」は現在の「大和川」の一部分のことを述べています。

IMG_0088③三室山四等三角点137.2m【四等三角点「三室山」木標(137.2m)

・なお、三室山展望台足元に「四等三角点」(137.2m)木標があります。

斑鳩町南西部にあり、現龍田川右岸にある標高82mの低い丘陵で、現在は桜の名所です。

(本会第220回行事「龍田・斑鳩の里」にて2012年4月訪問)

◇磐瀬の杜  (JR三郷駅西側)

○鏡王女*の歌碑「神南備の 磐瀬の杜の 呼子鳥 甚く鳴きそ 吾が恋増さる」がありますが、「磐瀬の杜」は南側を流れる大和川の広い河川敷にあったようです。

(*鏡王女:天智天皇妃より、藤原鎌足正室となった女性)

◇龍田神宮(官幣大社)

○「龍田神宮」は、「金山彦・媛」らたたら製鉄の技術者が鞴(ふいご)発明以前には自然の「風」を利用していたので、(農耕守護の)「風の神」を「御座峰」に祀っていたものを、天武4年(676)に勅使を遣わして「風神」を立野(現・三郷町)に祀られ(田神宮)、併せて廣瀬には「水神」を大和川の川曲(かわわ)に祀らせ(廣瀬大社)、国家的に初めて「風神」・「水神」を祀らせたと伝わります(日本書紀)。なお、社伝的には、龍田神宮は崇神天皇の3世紀後半に祀られたと伝わります。

○また、「龍田新宮」は、聖徳太子が法隆寺を建立し、龍田本宮をその守護神としましたが、遠隔であるので、現「新宮」の地に勧請して祀った、とも伝わります。

IMG_0100③龍田本宮龍田神宮

◇久度(くど)神社   (北葛城郡王寺町久度)

○祭神は品陀和気命(応神天皇)で、天児屋命、底筒男命(そこつつのおのみこと)、久度神(かまどの神・火の元の神:「久度」は「窖」の意味で御厨神の総称で、「竈神」〈伴信友説〉)が配祀されています。

○平安遷都後、山城・平野神社の鎮座に当り、「久度神」を京へ遷座した後は、本来の祭神「久度神」は失われていたようですが、延暦2年(783)丁巳從五位下、承和3年(836)從五位上、同15年(848)正五位下、仁壽元年(851)從四位下、貞観元年(859)從四位上、同5年(863)「平野從三位久度神並加正三位」と山城・平野神社(現・京都市北区:桜の名所)の「久度神」は叙位されています。

○その後、当社は元慶8年(884)従五位上に叙され、明治6年に村社に列しました。

昭和17年に橿原神宮の古殿をもつて拝殿・瑞垣・斎館・中門等が造営され、昭和43年には京都・平野神社から「久度神」を勧請して、基のみ座である久度神社の本殿に配祀されました。

IMG_0106③久度神社久度神社                              

【参考資料】

1.久度神社編:「久度神社由緒」、2016

2.益田宗児(「NPO法人・龍田三室山桜の会」顧問):私信、2016

3.益田宗児:「古代の謎解き龍田古道」、奈良徐福研究会、2010

4.柏原市教育委員会編:「古代たたら(製鉄)とカヌチ(鍛冶)記録集」、2000

5.長田光男:「奈良点描」(6)、精文堂出版、1983

6.山本 博:「製鉄起源の追求と新発見の鉄滓遺跡」、考古学雑誌(54)、日本考古学会、1977

7.山本 博:「竜田越」、学生社、1971

【2017年1月21日実施・案内:伊藤 武・編集:宮﨑信隆】

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