■第276回行事・アーカイヴス(2016年12月)

福知山線廃線を歩く

・JR福知山線が複線電化に伴い、武庫川沿いの旧ルートをトンネル化したため、廃線となって旧線路跡がハイキング道として利用されることになりました。西宮市区間は修復整備され、公開して一般供用されて以前より利用し易くなりました。続いて、生瀬から旧有馬街道を宝塚・清荒神まで歩いて、初冬の紅葉を楽しみます。

【コース地図(赤破線):國土地理院発行125000地形図「武田尾」・「宝塚」】

(図上の左クリックにより拡大)

コースJR武田尾駅*~長尾第3トンネル~長尾第2トンネル~「桜の園」入口(親水広場)~長尾第1トンネル~第2武庫川橋梁~溝滝尾トンネル~北山第2トンネル~北山第1トンネル~廃線跡生瀬側入口*~水管橋~(JR生瀬駅)~生瀬宿跡~生瀬皇太神社~生瀬大橋~[旧有馬道]~宝塚皇太神社~清荒神参道入口*~[清荒神清澄寺]~阪急・清荒神駅 (約11km)

◆旧福知山線廃線跡

JR旧福知山線は、「阪鶴鐡道」として、明治31年(1898)に宝塚~有馬口(現・生瀬)間(1.83km)、明治32年(1899)に有馬口~- 三田間(15.85km)が延伸開業され、武田尾駅・道場駅・三田駅が営業開始となりました。

明治39年(1906)に国有鉄道に吸収合併され、昭和61年(1986)の複線電化に伴って武田尾~生瀬間4.7km(内、西宮市区間3.15km、宝塚市区間1.55km:両市域の境界は第2武庫川橋梁)が廃線となりました。昭和62年4月の国有鉄道の分割民営化により「JR西日本」引き継がれたときには十分なデータ・情報が引き継がれず、会社としては公開するデータが整備されていないそうです(JR西日本・近畿統括本部企画課)。

【JR武田尾駅南端:大部分はトンネル内

長尾第3トンネル91m長

武田尾駅を出発して直ぐの処を水管橋が通っています。続いて、最初のトンネル「長尾第3トンネル(隧道)」です。続いて、「長尾第2トンネル」に入ります。

長尾第3トンネル

長尾第2トンネル147m長  

桜の園・「亦楽山荘」(えきらくさんそう)

水上勉作の小説「櫻守」のモデルとなった「桜博士」笹部新太郎の桜の研究育成の場とした演習林跡で、笹部氏の死後放置されていたものを平成11年に「桜の園」兵庫県里山林整備事業により宝塚市里山公園として再開されました。  

長尾第1トンネル307m長

第二武庫川橋梁72m長  (宝塚市~西宮市名塩 )

本橋は、下路曲弦ワーレントラス型・1連で、日立造船が製造して昭和28年に竣工しました。初代は明治31年(1898)年製の250ft単線ペンシルベニアトラス型のフェニックスブリッジ社製で、日本最初の分格トラス橋でした。

【清滝尾トンネルからの第二武庫川橋梁:補修後】  

武庫川

上流は、篠山市丹南町・田松川*・他より三田氏を流れて、武庫川峡谷を抜け、宝塚市に入り、大阪平野を南流して大阪湾に注ぐ二級水系の河川です。

最終氷河期(約7~1万年前)までは篠山川下流でしたが、分水嶺が篠山南部に移動することにより、篠山川は「加古川」水系となりました。現在は、三田盆地各流を集めて、武庫川渓谷に入っています。本河川はたびたび洪水被害を起こしてきたのでダム建設計画が持ち上がりましたが、流域住民との話し合いが纏まらず、「需要減少」を理由として計画はほぼ消滅しています。

[*田松川:「加古川」との「水分れ」地点⇒2017年9月第285回行事で訪問予定]

【武庫川渓谷】

溝滝尾トンネル(西宮市名塩):149m長

北山第2トンネル(西宮市名塩):413m長

【北山第2トンネル】

北山第1トンネル318m長、大正11年3月竣工。

◇水管橋  (武庫川:西宮市名塩・青葉台間)

川や谷を超えて水を運ぶための橋であり、水路橋や水道橋とも呼ばれます。

    【武田尾水管橋】

生瀬街道・生瀬宿  (西宮市塩瀬町生瀬)

町村制施行以前には、旧有馬郡生瀬村(なまぜむら)と名塩村(なじおむら)がありましたが、命じ22年(1889) の町村制の施行により、名塩村・生瀬村の区域をもって発足し、更に、昭和26年、西宮市に編入されました。

武庫川沿いに位置する「生瀬」は、摂津の平野部と有馬方面を結ぶ「有馬街道」(大坂街道)に位置し、13世紀にはすでに宿駅として栄えた記録があり、嘉禎4年(1238)創建と伝わる「浄橋寺」(浄土宗西山派)には、武庫川を渡る橋にちなむ伝説が伝わっているそうです。

【旧生瀬宿・妻入民家・厨子二階・虫籠窓名残】

江戸時代、延宝5年(1677)には、戸数107軒中、103軒が御傳馬役・人足役・駕籠持などに従事していたそうです(摂州有馬郡生瀬村馬借村絵図)。正徳元年(1711)の改正驛法では、東は小浜、西は道場・有馬、南は西宮の各驛と結ぶ、参勤交代を含めた宿驛、物資の中継地として栄えました。

明治31年、阪鶴鐡道(現・JR福知山線)が宝塚駅から延伸開業した際、終着駅として有馬口駅(現・生瀬駅)が開業し、阪鶴鉄道は翌明治32年に三田駅まで延伸され、武田尾駅(所在地:現・宝塚市玉瀬)が設置されて武田尾温泉の利用者が増えたようです。                                              ◇生瀬皇太神社  (西宮市塩瀬町生瀬)

祭神は、天照大神を主祭神に、愛宕・春日・八幡各大神が配祀されています。

寛元元年(1243)の創始と伝わり、文明5年(1473)に兵火に遭いましたが、天文16年(1547)、細川時元により再建されました。天正年間(1573~92年)には羽柴秀吉による別所長治攻めの際に再び焼失し、寛永3年(1626)に再建されました。大正時代以前は「皇太神社」と称されましたが、昭和2年に現社名へ改称されました。

生瀬皇太神社

◇宝塚皇太神社  (宝塚市川面)

伊勢神宮を総本社とし、祭神は天照大神、天児屋根命(あめのこやねのみこと)の二神です。

天録元年(970)、多田盆地(現・川西市多田)を拠点として広大な荘園を開いた源氏の始祖・源満仲の御家人・中村三郎衛宗辰(号・勘素:安庭家先祖)がこの地域を支配し、八幡神を勧請して、「明城(明白・あけしろ)大明神」を創建して、正徳5年(1715)、現在地に遷座したと伝わります。 創建場所は、現川面1丁目説、現川面5丁目(鍋野宇古宮)説、両場所にあった神を現在地へ合祀した説などがあります。旧川辺郡安場村の産土神とされ、文献的には明白大明神、赤白大明神、赤城大明神などと記され、現在地元では「川面神社」とも呼ばれているようです。

明治元年の神仏分離により、天照大神、天児屋根命を奉斎して「皇太神社」へ改称され、末社に明城大明神、多田神社、加太神社、愛宕神社、大山砥神社、熊野神社、住吉神社、天満神社も末社として安置されています。                                       

江戸時代建立の社殿は阪神淡路大地震で倒壊した後、再建されました。

◇清荒神清澄寺  ( 真言三宝宗大本山・攝津國八十八箇所第七十二番札所)

本寺は、寛平8年(896)に宇多天皇の勅願寺として静観僧正により創建され、本尊は国重要文化財に指定されている大日如来で、鎮守社として三宝荒神社があります。 「竃の神」の荒神などを祀る神仏習合から「清荒神清澄寺」の名称があり、「こうじんさん」として信仰が厚いようです。  

【参考文献】

1.  兵庫県の歴史散歩編集委員会編:「兵庫県の歴史散歩」(上)、山川出版社、2006

2.生瀬皇太神社・宝塚皇太神社・清荒神清澄寺各ホームページ、2016 .

【2016年12月3日実施・案内:荻野哲夫・編集:宮﨑信隆】

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