第273回行事・アーカイヴス(2016年9月)

「熊野古道」紀伊路大阪府篇Ⅴ (和泉砂川~山中溪)

  ・信達王子・長岡王子・地蔵堂王子・馬目王子    

●泉州を進んだ「熊野古道 紀伊路」は、信達宿を過ぎると、愈々泉州と紀州の境にある和泉山地の上りに差し掛かります。今回は、砂川より林昌寺、岡中鎮守社、信達王子・長岡王子・地蔵堂王子・馬目王子に立ち寄りながら、山中溪まで歩きます。ここで「熊野古道」大阪府篇は終わりとなります。なお、三カ所の「水準点」に立ち寄りました。

【コース地図(赤破線):国土地理院発行1:25,000「樽井」・「岩出」】

コースJR和泉砂川駅~往生院~信達王子址~林昌寺~岡中鎮守社~JR和泉鳥取駅~長岡王子址~地蔵堂王子址~馬目王子址~山中宿本陣跡~JR山中溪駅 (約6km)

注)(20)=「第二十王子」

名王山 往生院     (真言宗御室派・和泉西國三十三カ所第十四番札所・泉南市信達牧野)   

和泉砂川駅を出発して300mほど西へ向かい、旧「熊野街道」に出て左折し南へ200m程進むと、「往生院」に着きます。

本院は、白鳳8年(680)、天武天皇の勅願により、行基の師・道昭が建立したと伝わる名刹で、5丁四方の寺域を有しましたが、信長の根来攻撃で堂塔が焼失し、太閤検地で寺域を狭められ、明治期に入り更に狭く、293坪となりました。

なお、道昭は海運、造船、土木に長じた船氏(船連[ふねのむらじ])の出自と伝わり、玄奘三蔵に学び、奈良・元興寺にて法相宗の開祖となりました。

img_1574名王山往生院

◇大鳥居(信達神社御旅所跡)     (泉南市信達牧野)

「信達神社」は、大鳥居交叉点より南東に約3km進んだ、泉南市信達金熊寺にある神社ですが、その御旅所跡が熊野街道より左折して50m程進んだところに空き地となって、石鳥居と御旅所の石碑のみが立っています。

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信達神社御旅所跡大鳥居:名称石碑が奥に立っている

 (20)信達一ノ瀬王子  (泉南市信達牧野)

「往生院」から約1kmのところにあります。「馬頭さん」と地域の人々から呼ばれてきました。

明治30年頃まで小さな祠が存在していましたが、跡地は、東西2間半・南北2間半、広さ約6坪で、地蔵石像、馬頭観音像等が祀られています。その名称は、「信達王子」、「信達一之瀬王子」、「一之瀬王子」などの名称もが知られています。

直進の道と左折の道の分岐点に2基の道標があり、直進の道は「天晴 出払暁道 参信達一之瀬王子 又於坂中祓 次参地蔵堂王子 次参馬目王子」(藤原定家:「熊野御幸記」建仁元年(1201)十月八日条)との記録に出ています。「左あたご道」の方は、愛宕丘から躑躅山林昌寺を経て岡中・鎮守社で合流するもう一本の熊野古道のようです。

後鳥羽院参詣記では「信達一之瀬王子」、修明門院参詣記では「信達王子」と記されていますが、文明6年(1474)の『王子記』では「信達王子」と「長岡王子」の2社が併記され、享保15年(1730)の「九十九王子記」には『信達王子、在牧野村。一瀬王子、在所信達庄市場村。長岡王子、在岡村北坂中』と記されているようです。明治初期まで小祠が祀られていたようですが、明治43年(1910)に「信達神社」(泉南市信達金熊寺)に合祀されています。境内山上には、寺の鎮守・愛宕権現社が祀られています。

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◇林昌寺   (真言宗御室派・躑躅(つつじ)山・泉南市信達岡中)

「信達一ノ瀬王子跡」より街道をそれて500mほど進んで、急な坂道を100m程あがると「林昌寺」に着きます。

天平年間に第45代・聖武天皇の勅願寺として行基によって開創されたと伝わる泉南の古刹で、当地の水が鉱質に富むところから、山号を「温泉山」としましたが、平安後期に堀河天皇が当山に行幸の折、山躑躅(つつじ)が見事なことから「躑躅山」と改められました。別称を「岡大師」といわれます。
天正5年(1577)の織田信長の雑賀攻撃の折に、3院6坊が全て焼失しましたが、江戸時代初期から中期にかけて再建され現在に至っています。観音堂には、西国33ヵ所の本尊がまつられ、寺内山中の四国88ヵ所も順拝できます。また、山の斜面に造られた重森三玲作の庭園「法林の庭」、仏足石、補陀洛渡海碑などの文化遺産を有しています。

img_1578 【林昌寺本堂・境内】

◇岡中鎮守社  (泉南市信達岡中)

「林昌寺」の丘を南西に下りて「熊野古道」に出て左折し、100m程のところをまた左折して進むと「岡中鎮守社」に至ります。

ここでは、中世(約500年前)の寺院跡が発掘調査で検出されており、境内のクスノキは、大阪府指定特別天然記念物で、樹齢800年以上、樹幹周囲目通し8 . 2m根元12m樹高30mで地上3mの所で幹が三本に分かれています。

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岡中鎮守社:後方に大阪府指定特別天然記念物・樹齢800年以上の大クスノキ

◇波多神社遥拝鳥居   (阪南市石田)

「岡中鎮守社」で昼憩後、「熊野古道」に戻って、約1km進むとJR和泉鳥取駅前の大石鳥居の前に着きます。

「波多神社」は、平安時代の「延喜式」に記載されている「式内社」で、日根郡鳥取郷の総社でした。波太神社本殿、末社三神社本殿は、寛永15年(1638)の建立で、当時の優美な建築様式を残しており、ともに国の重要文化財に指定されています。

「波太神社」本殿には、当地の豪族・鳥取氏の祖と伝わる角凝(つのこり)命を主神とする波太宮と品陀別命(応神天皇)を祭る八幡宮の二宮が祭られています。末社三神社本殿は、本殿と同じく三間社流造(ながれづくり)とよばれる建物です。

img_1586波多神社遥拝石鳥居

 (21)長岡王子   (泉南市長岡)

「長岡王子」泉南市内にあったと推定される王子社ですが、その実在性は明確ではなく、「長岡王子」の呼称は、「信達王子」近辺の旧街道の坂道が長岡と呼ばれたことから生じた別称であるともいわれています(『大阪府史跡名称天然記念物』)。

『紀伊名所図会』では「長岡王子」と「信達王子」とは別個の王子社として掲げているようです。

諸説には、次の4説もいわれています:

①「長岡王子」は「一ノ瀬王子」(信達王子)の別称で、同じ王子を指している。

②岡中を通る阪和線のガード下がその跡である。

③和泉鳥取駅東に「波太神社」遙拝鳥居があり、この場所である。

④岡中の集落の中央に樹齢800年の大樟があり、この根本に鎮守社があり、ここである。

(22)地蔵堂王子   (阪南市山中)

「信達一ノ瀬王子」から南西に約1.5km進んで山中川の流れに行き当たり、和泉鳥取駅の近くの交差点から、山中川右岸に沿う小道を500mほど行くと、川がくの字に曲がる辺りが崖になっている。この崖は、古くは「琵琶ヶ崖」と呼ばれ、「地蔵堂」が崖の南側にあったと言われており(『大阪府史蹟名称天然記念物』)、近くの住宅街の中に標示板が設けられていますが、旧山中村「地福寺」に移された「子安地蔵」が「地蔵堂王子」に祀られていたものとのことです(『和泉名所図会』)。

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 (23)馬目(まめ)王子   (阪南市山中)

「地蔵堂王子」から山中川を遡り、JR山中渓駅の北側で阪和線の線路が山中川を越えた辺りの西側辺りに旧社地があります。

明治41年(1908)に「鳥取神社」(阪南市石田)に合祀され、さらに「波太神社」の摂社になったとのことです。旧社地は払い下げられ、阪和線の開通時の工事で切り崩されて平地となりました。石祠と鳥居が残っていたようですが、石祠のみ、近隣の民家の敷地に移されて祀られています。(「大阪史蹟名勝天然記念物」)。
「ウハ目王子」(後鳥羽院参詣記・建仁元年(1201)十月八日条)・「宇麻目王子」(『民経記』)などの別称もあるようです。「後鳥羽上皇の「熊野御幸記」には「八日天晴拂暁出道参達一ノ瀬王子又於坂中祓参地蔵堂王子次参ウマ目王子次参中山王子」と記録されているようです。

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【(上)馬目王子跡碑:旧社地内・(下)馬目王子祠:旧山中神社境内】

 

 

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◇山中宿本陣   (阪南市 山中)

「熊野古道」をJR山中渓駅北方約400m のところで、旧「山中宿」街へ入ります。その長さ約400mで、駅前まで続きます。                                                                              

●旧「山中宿」は、「紀州街道」の宿場で、雄ノ山峠北麓の鳥取庄山中村に設けられました。山中村は阪南市の南東端部に南北方向に広がり、旧村の中央を流れる山中川に沿う街道周辺の集落を除けばほとんどが山間地で、宿から雄ノ山峠を南に越えると紀伊国府がすぐのところにあったため、京都と国府を結ぶ最短経路として古代から重要視されました。

●中世「熊野詣」の隆盛に伴って紀州街道が参詣道の一部(熊野街道)となると、「山中宿」地域にも九十九王子社が設けられ、「次参ウハ目王子、次参地蔵堂王子」(後鳥羽院参詣記[『明月記』所収]建仁元年(1201)十月八日条)、「宇麻目王子」(『民経記』承元四年(1210)四月二十四日条)などの記述が見られるようです。南北朝時代には関所が置かれ、関銭は河内観心寺(河内長野市)の法華堂造営料所とされていましたが、建徳元年(1370)には関銭徴収権が半減されました(「観心寺文書」)。

江戸時代の元和5年(1619)に徳川頼宜が紀伊藩主となると、山中宿に本陣が設けられ、藩主が通過するときは近隣より30人が人夫として働き、炊飯・運搬・清掃等の仕事に対応しました。

山中宿庄屋田中家Ⅱ【旧山中村庄屋跡】  

 

img_1601【旧山中宿本陣跡】     

◇水準点                               

訪れた「水準点」は次の3カ所です(前出地図参照):                                            ①一等水準点263:所在地・泉南市信達岡中702先。N34°21′07″9375.E135°26′22″8688.標高30.4949m。

②一等水準点264:所在地・阪南市山中渓588-2先。N34°20′12″7067.E135°15′57″9408.標高49.5091m。

一等水準点265:所在地・阪南市山中渓113番6。N34°19′31″7528.E135°16′11″7635.標高76.1792m。

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一等水準点265(阪南市山中渓113番6:山中交番前)

【参考資料】

1.泉南市教育委員会編:「信達王子・長岡王子・林昌寺・岡中鎮守社」、泉南市ホームページ、2016

2.阪南市教育委員会編:「波多神社・地蔵堂王子・馬目王子・山中宿」、阪南市ホームページ、2016

3.吉田 昌生:「熊野古道ガイドブック・熊野への道」、向陽書房、1999.  

【2016年9月11日実施・案内:天正美治・編集:宮﨑信隆】    

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