■第259回行事・アーカイヴス(2015年7月)

金剛山

 ●大阪府と奈良県に跨る「金剛山」山頂へ、整備された本堂を登ります。夏の登山ですが、頂上は「下界」に比べて10℃近くの温度差があって涼しく、登頂者へのご褒美として大峰山系から六甲連山までの雄大な眺望が待っています。

コース南海/近鉄河内長野駅*[バス乗場]~[路線バス]~金剛登山口*~千早本道ルート~国見城跡[昼食]~葛木岳(葛木神社・1,125m)*~湧出岳(一等三角点:1,112m)~展望台~ちはや星と自然のミュージアム*<解散>  (約6㎞)

○解散後:~[金剛山ロープウェイ]~金剛山ロープウェイ前バス停 

【コース地図(赤破線):国土地理院発行1:25000地形図「御所」・「五条」 】

コース地図金剛山25000御所五条 説明入②

 

(図上の左クリックにより拡大)

◇千早赤坂城  

■千早赤坂城は、大和国五条と河内国大ヶ塚・富田林を結ぶ最短ルートとして、昔から交通・軍事の要衝であった「千早街道」から登りつめた「金剛山」より西にある一支脈の先端に築かれた山城で、楠木氏の詰め城でした。

■城は、周囲が約4kmで千早川の渓谷を利用し、北には北谷、南東には妙見谷、東は風呂谷があって、四方の殆どを深いにに囲まれ、城の背後のみが「金剛山」山頂に連絡する要害の地でした。「金剛山」山頂は標高1125m、城の最高所の標高は673m、比高は175mでした。北条幕府軍の大軍を引き受け、楠木正成が奇策*を用いて名高い攻防戦の舞台となりました。

*奇策とは、藁人形を数十体作らせ、甲冑を着せ弓や槍を持たせ、その人形を夜間に城外の麓に並べ、後ろに兵500を潜ませ、夜明けになると鬨の声をあげさせました。鎌倉幕府軍は決死の攻撃と思いこみ攻め寄せたため、500の兵は矢を放ちながら徐々に城内に引き上げました。鎌倉幕府軍がわら人形に到達した所を見計らい、大量の大石を投げ落とし、300名が即死、500名が負傷した作戦でした。                                                      *また、鎌倉幕府軍は近くの山より城壁ヘを掛けて一気に攻め上ろうとしましたが、京都より大工衆500余人を呼び集め、巾15尺(4.5m)、長さ100尺(300m)の橋を造り、大縄をつけて城内へ殺到しました。楠木正成は、かねてより用意していた水鉄砲の中に油を入れ橋に注ぎ、それに松明を投げましたが、城内にたどり着こうとしていた幕府軍の兵は後ろに下がろうとしても後陣が続いており、飛び降りようにも谷深く、もたもたしていると橋けたの中ほどより折れ、数千名が猛火の中を折り重なって火地獄になったと「太平記」に記載されています。

◇金剛山   

■御所市と千早赤阪村との境にある山で、かつて、高間山・高天山(たかまやま)や葛城嶺(かづらきのみね)といわれていた金剛山地の主峰です。最高地点は葛木岳で標高1,125mあり、(御所市)葛木神社の本殿の裏にありますが、神域となっており立ち入ることはできないため、国見城跡の広場が山頂扱いされています。

■加えて、湧出岳(1,112m・一等三角点)、大日岳(1,094m)のピークがありますが、大阪府川の最高地点 (1,053m) がこの山腹にあり、その旨の標識が掲示されています。

 P1140208

【国見城跡・金剛山山頂:雨天のため下界は何も見えず】

 葛木神社   (御所市高天)

■祭神は、(葛木)一言主神(ひとことぬしのおおかみ)で、山岳信仰で霊の鎮る所として畏怖崇拝されてきた神です。        

P1140213【葛木神社】

■配祀されている神々には、加茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)、大山祇命、豐受比賣命、素盞嗚命、大國主神、少彦名神、玉依比賣(たまよりひめ)命、健御名方富命(たけみなかたとみのみこと)、後醍醐天皇、護良親王、楠木正成、楠正行です。                                         

由緒:当山は古来、葛城山または高天山(たかまやま)とも呼ばれ、「日本書紀」神武天皇紀の『葛(かつら)の網をきせて土賊を覆い殺した』伝説に由来します。

■天智天皇4年(666)、役小角(えんのおづぬ)が16歳時に当山に登って霊気を感得し、長い修行の後、頂上に法起菩薩を本尊とする金剛山「転法輪寺」を建立し、自身の祖神・一言主神を祀る「葛木神社」を鎮守として、合祀して神仏混淆の霊峰としました。

以後、真言密教の霊場として信仰を集め「転法輪寺」の山号「金剛山」が略称のように使われて、葛城山脈中の最高峰を指す名称になったとも言われています。

■明治元年に、神仏分離の折に廃寺となりましたが、昭和37年、浄財を集めて復興されました。

湧出岳  一等三角点標高 1112.08m御所市大字高天字葛木岳475番地

緯度34度25分1秒1818

経度135度40分38秒3380 

P1140215一等三角点湧出岳【一等三角点】 

金剛山略史・転法輪寺御所市高天)

■「金剛山」は修験道の開祖・役小角(役行者)が修行した山として知られますが、金剛・葛城山東麓は鴨氏の支配地で、役小角の生まれ育った地域でした。約1,300年前に当山で修行し、全国各地の霊山へ修行に赴いたと伝わります。山頂付近には役行者が開いたと伝わる「転法輪寺」があります。

■「転法輪寺」(真言宗醍醐派・葛城修験道大本山)は、修験道の開祖とされる役小角が16歳のとき金剛山に登って苦修練行を重ねた結果、天智天皇4年(665)祖神・一言主大神を鎮守とし、法起大菩薩を祀る「金剛山寺」(転法輪寺)を建立して、神仏習合の霊山としたのが開創と伝わります。

■奈良時代より明治維新に至るまで修験道七高山の1つに数えられ、歴代天皇の勅願所として五堂七宇の殿堂輪煥の美を誇りました。行基、鑑真、最澄も来山し、聖寳も修行したと記録されています。                 

■鎌倉末期、楠木正成が僅か五百の兵で金剛山中腹に築いた山城・千早城に戦陣を張って、幕府派遣の総勢五万といわれた関東軍勢を寄せ付けなかったのは、「金剛山寺」(転法輪寺)の修験勢力の支援が大きかったと伝わります。

■「金剛山」の大阪府側には、「太平記」に登場する楠木正成の城・千早城、上赤坂城、、下赤坂城の城跡や楠公誕生地などの史跡が点在しており、楠木正成の菩提寺「観心寺」には、正成が少年期に学問を修めた記録が残り、金剛山鎮守と称された「建水分(たけみくまり)神社」(式内社:旧社格は府社)は楠木氏の氏神で、本殿(重文)は正成が再建し、境内摂社・南木神社は正成を祀る最古の神社だそうです。

◇ちはや星と自然のミュージアム

■府民の森ちはや園地の中心に位置した、 金剛山の自然やそこから見える星空の情報拠点となる施設です。

■エコループや風力発電設計で、金剛山の植物、野鳥、動物などについての写真や映像、音声、資料展示、コンピュータや図書を利用できる学習スペースがあり、スライディング・ルーフのついた星見台には口径400mmの反射式天体望遠鏡が据えられ、冬季以外は毎月1~2回星空観察会を開催されています。

【参考文献】

1.河内長野市観光協会ホームページ、2015.

2.千早赤坂村観光協会ホームページ、2015. 

 【2015年7月4日実施・案内:藤田 清・編集:宮﨑信隆】  

サブコンテンツ

このページの先頭へ