■第246回行事・アーカイヴス(2014年6月)

越府(越國)合併の地樫田~馬堀を歩く

●高槻市樫田地区は、昭和33年まで京都府南桑田郡樫田村に所属していて、府県を越えた合併を行いました。この地域は攝津・山城・丹波三國の接するところで、その所縁の地を訪ね、現在の府境[國境]を越え、亀岡市馬堀まで歩きます。

コースJR高槻駅~(バス)~樫田校前(標高330m)・高槻市役所樫田支所・合併記念碑~(バス)~樫船神社~(バス)~明神ヶ岳(標高523.5m) ~(バス)~中畑回転場~万寿峠(府境)~篠IC~(集会所)~篠村八幡宮(標高116.7m)~JR馬堀駅(標高90m) (徒歩区間・約10㎞)

【コース地図(歩行区間・赤色):国土地理院発行25000分の1地形図「亀岡」・「法貴」使用(図上の左クリックにより拡大)

コース地図樫田馬堀徒歩区間25000法貴亀岡②
◆三国橋・両国橋

○JR高槻駅からバスで樫田地区に向いましたが、途中、芥川に架かる橋として、「三国橋」と「両国橋」の傍を通過しましたが、その「三国」は攝津・丹波・山城を意味し、「両国」は丹波・山城です。即ち、昭和33年に「越府合併」が行われるまでは、この「三国橋」付近が京都府・大阪府、攝津・丹波・山城各國の「境」であり、「両国橋」付近が同じ京都府内の旧丹波國と山城國の境であったことを物語っています。

三国橋両国橋②

【三国橋(下○)・両国橋(上○)・右無地部分は京都府::高槻市発行1:15000「高槻市地図1」(図上の左クリックにより拡大)

◆旧樫田村・「越府」合併記念碑(樫田支所前)

旧樫田村範囲・國界Ⅲ②

【旧樫田村範囲(橙色)・南側の境界線は丹波國・摂津國の「國界」・国土地理院発行1:200,000地製図「京都及び大阪】使用(図上の左クリックにより拡大)

○当地は明治4年の廃藩置県の詔により、丹波亀山藩領が京都府桑田郡田能村・中畑村・出灰村・杉生村・二料村の5村となりましたが、同11年の郡区町村編成法の発布により南桑田郡となりました。

○明治23年の町村合併により、大字田能にある樫船神社の「樫」と、母体となった田能村の「田」を組み合わせて「樫田村」が発足しました。

○その後約70年を経て、町村合併促進法の公布に伴い、南桑田郡内18町村合併構想を受けて、郡内の他町村が亀岡市への合併参加を相次いで表明する中で、樫田村は村を挙げて、地勢的・経済的に結び付きの強い高槻市への合併を要望しました。

○遠因として、府境と分水界の不一致および樫田村を襲った再三の水害発生後の京都府の冷遇対応が挙げられ、住民の八割が高槻市への合併に賛同し、一方、京都府議会議事録からは、当時の京都府知事による慰留意欲はほとんど認められていません。府境を越える合併要望のため、各方面では慎重に検討された結果、昭和33年4月1日、高槻市との合併が内閣総理大臣の認可を得て、「越府合併」の最初の事例となりました。

◆樫船神社(高槻市大字田能小字コブケ)

◆神宮寺 (高槻市大字田能小字下垣内)

○高槻市の最北端にあって、京都府亀岡市に接する樫田地区は、標高360mの田能盆地を中心に、周りを山々に囲まれた農山村の景観が遺存する自然豊かな地域で、中央を流れる田能川は市域を流れる芥川最上流の支流のひとつで、川沿いを丹波街道が通ります。

○「樫船神社」は盆地最奥の尾根上に、「神宮寺」は田能川東岸の山裾に位置しています。4世紀頃まで盆地全体が大きな湖であったとされる亀岡盆地の東部の山を切り拓き(=保津川開削)、湖水を京都盆地側へ流すことを提案した「大国主命」と、土地の神様であり、かつその工事に使用するための船を拵えた「樫船明神」(大山喰命)を、樫の舟が建造されたとされる場所に祭祀するために、貞応元年(1222)に勧請された神社と伝わります。

○「田能庄」の鎮守「樫船神社」、その「神宮寺」ともに創建時期は不明ですが、神社に伝わる棟札では、貞応元年(1222)庄民たちは僧・定勢の指導により、社殿の造営と神像・仏像の造立を計画し、願主を募り、貞応元年9月に社殿が完成し、貞応2年3月(1223)に五体の神像・仏像もできあがったと記されます。

樫船神社【樫船神社】

○この五体の神像・仏像のうち、「大明神男神像」と「女体御前神像」、黒迦羅御前と呼ばれる女神の本地仏たる「阿弥陀仏」の三体を「樫船神社」へ、神像それぞれの姿(本地仏)たる「観音菩薩像」と「大日如来像」の二体を「神宮寺」へ安置し、祀られてきました。

○「樫船神社」に安置された黒迦羅御前の本地仏たる「阿弥陀仏像」一体だけが、田能庄全体の村落構成員とその縁者での費用負担と記されていますが、その理由は定かでありません。庄民の絆の強さを知る資料です。

○「神宮寺」の創建時期は不明ですが、鎌倉期に「樫船神社」の宮寺として建立されたと伝わり、田能地区の守り仏・「大日如来坐像」を祀ります。田能川東岸の山裾に、あたかも地域を見守るかのように立地していて、本尊の大日如来坐像は、市の有形文化財に指定されています。

○「大日如来像」:胎蔵界大日如来坐像で像高95.5cmで、頭髪は螺髪(らはつ)、腹前で定印を結び、寄木造、内刳(うちぐり)、目は彫眼で金箔を施されています。昭和51年に市有形文化財に指定されています。

◆田能                       

○山裾沿いには、平安時代初期(9世紀)から鎌倉時代(13世紀)にかけて営まれた建物跡や炉跡で構成する屋敷などの建ち並ぶ集落跡が検出され、「樫船神社」西方には臨済宗妙心寺派の「桂香寺」があり、その裏山・城山には石垣や井戸などが散見でき、明智光秀が居城した亀山城の支城であった「田能城」跡と伝わります。

○鎌倉時代初期の丹波国桑田郡「田能庄」は七条院(後鳥羽院の母)領のひとつで、安貞2年(1228)の七条院処分目録案には、修明門院(後鳥羽天皇の妃 藤原重子)へ譲られたとあり、皇室領荘園として維持されていたようです。

◆明神ヶ    (標高523.5m)

○亀岡市篠町森森と高槻市大字田能の境で、山頂一帯は樹木で覆われているため展望は効きませんが、京都府側の尾根はクマザサの群生地で、付近の植林された杉木立の間から亀岡盆地と丹波高地の山々を眺められます。

○大古、亀岡盆地一体が湖であった頃、「大国主命」が多くの神々をこの山の山頂に集めて、篠村山本と保津村請田との間を切り拓いて湖水を京都盆地へ流し、大きな平野を造り、町や村を建設しようと相談をした、との伝承があります。この計画を実行するには、湖を進み山を切り拓く(=保津川開削)ための木舟が必要でしたが、その船に用いる木は、近接する黒柄岳とこの山から供出され、この山で造船もされていたと伝わり、樫船神社が残り、その伝説を伝えています。

◆万寿峠  (標高430m:亀岡市篠町森寒谷・同王子西長尾・高槻市中畑)
○亀岡市篠町・高槻市中畑・京都市西京区外畑町の三市境付近にある三叉路の車道峠です。

◆篠インターチェンジ  (京都縦貫自動車道)

○昭和63年2月に沓掛~千代川間が開通し、平成25年4月に大山崎~沓掛間開通、更に丹波インターチェンジまで繋がりましたが、平成26年度内に和知まで開通の予定です。

◆篠村八幡宮  (亀岡市指定史跡:昭和61年指定)

篠村八幡宮【篠村八幡宮】

○旧社格は村社で、「足利高氏旗挙げの地」として知られ、主祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと・応神天皇)合祀神には仲哀天皇・神功皇后が祀られ、本殿は一間社流造です。

○延久3年(1071)に勅宣により、源頼義が誉田八幡宮(羽曳野市)から勧請し創建したと伝わり、延久4年5月13日付の源頼義の「社領寄進状」も現存します。篠村の荘園は藤原氏によって開かれたものが、源氏が相伝し、その荘園に勧請されたものとされます。

○当社は足利高氏(尊氏)が打倒・鎌倉幕府の挙兵をした地で、元弘3年(1333)4月29日に当社に戦勝祈願の願文を奉じ10日間滞在後、六波羅探題を滅ぼして建武の中興の礎を築き、後醍醐天皇と決別後の建武3年(1336)1月30日に京都攻防戦で敗れた後、2月1日まで当社で敗残の味方の兵を集めるとともに社領を寄進して再起を祈願しました。その後、尊氏は九州へ逃れて体勢を立て直し、京都に戻り室町幕府を開きました。

○当社への祈願の様子は『太平記』などにも記載され、現在も高氏(尊氏)旗揚げの「願文」(府指定文化財)や「御判御教書」(寄進状)が伝わり、境内には「矢塚」や「旗立楊」が残っています。

旗立楊_篠村八幡宮

【旗立楊:篠村八幡宮(市指定史跡):挙兵した高氏が味方武将に所在を知らせるため、427日から57日までの間「二引両」の家紋入りの旗を掲げたという楊(やなぎ。柳とは樹種が異なる)です。『梅松論』にも記載がある。現在の木は昭和初期に挿し木したもので、高氏の時代より6~7代を経て引き継がれてきたもののようです】

矢塚_篠村八幡宮

【矢塚(市指定史跡):高氏は当社に願文とともに一本の鏑矢を供えたといわれ(太平記)、多くの武将もそれに続けて供え、矢がうず高く積み上げられたと伝わり、これらの矢を埋納した場所が「矢塚」で、塚上には椎の木が植えられています(2代目)】

○足利尊氏にとって二度の岐路で当社により大願が成就したことから、尊氏自身も貞和5年(1349)8月10日に当社にお礼参りをし、歴代将軍からも多くの社領を寄進され、盛時には社域は篠の東西両村に渡ったとつたわります。醍醐寺三宝院門跡が当社の別当職を務めたりしましたが、応仁の乱や明智光秀の丹波侵攻によって社伝・社域の多くを失いました。寛永年間(1624~44年)に丹波亀山城主・菅沼定芳によって本殿が改修され、以後亀山城主の直轄神社として庇護されました。

IMG_7527篠村八幡宮140607【篠村八幡宮到着】

 [参考文献]

1.『高槻市史』(1)、1984.

2.高槻市教育委員会ホームページ。

3.亀岡市ホームページ。

【2014年6月7日実施・案内:岡本 和・編集:宮﨑信隆】

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