■第236回行事・アーカイヴス(2013年8月)

★槇ノ尾・清滝・保津峡散策

●川のせせらぎを聞きながら、良い汗を掻きましょう。

・清滝川に沿って、東海自然歩道を進みます。3時間弱のコースで、清滝まではなだらかな道です。落合トンネルを抜けたところで河原へおりて・・保津川下りの舟に手を振って・・トロッコ保津峡駅まで直ぐです。

コース:JR京都駅八条口~[バス]~槇ノ尾~栂ノ尾~高雄橋~錦雲峡~清滝橋~潜没橋~清滝~金鈴橋~金鈴峡~潜没橋~落合橋~トロッコ保津峡駅~[トロッコ列車]~トロッコ嵯峨嵐山駅 (徒歩区間:約7km)

コース図(赤色):国土地理院発行1:25000地形図「京都西北部」使用

栂ノ尾清滝保津峡25000京都西北部②(図上の左クリックにより拡大)

■沿道

○清滝川沿いに槇ノ尾から落合・保津峡まで歩きましたが、槇ノ尾~落合間は「東海自然歩道」で「京都一周トレイルコース」にもなっています。

○清滝川の高雄橋~清滝間を「錦雲渓」、金鈴橋~落合間を「金鈴峡」ともいいます。

P1100776②猿渡橋清滝【猿渡橋付近の清滝川・錦雲峡】

○「潜没橋」・「沈下橋」は、定水位では渡河できますが、増水時には水面下に没します。欄干は無いものが多いですが、無いものや取り外しのできるものなどもあります。建設費が安く、山間部や過疎地に生活道路として造られていますが、徐々に無くなりつつあるようです。

P1100780潜没橋Ⅱ【潜没橋】

○「保津川」の名は亀岡市保津町請田~京都市嵐山の通称で、この間の渓谷が「保津峡」といわれています。行政上の表記は、旧河川法施行(明治29年)以後、「桂川」にとういつされています、国土地理院発行地形図の表記も「桂川」で表記されています。

○「落合」は「保津川」への「清滝川」の合流点で、急流に岩肌が荒らしくそそり立つ景観から時代劇やサスペンス事件現場の舞台にも登場します。

P1100782保津峡落合【落合から見た保津峡】

○「米買道」:柚子の里・水尾まで4㎞弱の道で、水尾に稲作に適した土地が無かったので、丹波・亀岡に米の買い出しに出かけた折に通った道です。世木の「鮎」を鳥居本へ運ぶ「鮎の道」でもありました。

○「トロッコ列車」は山陰線が複線電化計画された折に、本線は直線トンネル化が図られたので、旧線の嵯峨~馬堀間の景観を生かす観光専用の「嵯峨野観光鉄道」が設立され、平成3年から営業しています。

【コース説明図】

槇ノ尾清滝保津峡_本條②(図上の左クリックにより拡大)

◆槇ノ尾・高雄の古刹

◇西明寺  (真言宗大覚寺派・槇尾山平等心王院)

・槇ノ尾バス停を清滝川に沿って下って行き、橋を渡り少し上ると「西明寺」に至ります。当寺は、天長年間(824~834)に空海の弟子・智泉大徳が「神護寺」別院として開基され、建治年中(1275-77)和泉国槙尾山の自証上人が中興の祖です。正応3年(1290)「神護寺」より独立し、現在の伽藍は元禄13年(1700)桂昌院(5代綱吉生母)の帰依により再建されたとの説が有力です。本尊・釈迦如来立像(重文)は高さ51cmの小像で、高山寺明恵上人の造顕、運慶作と伝わります。胎内に永承2年(1047)の墨書銘が印されています。鎌倉時代の清凉寺式釈迦如来像といわれます。脇陣に安置されている千手観音像(重文)は平安時代に彫られ、繊細な顔立ちをした立像です。参道入口に朱色の「指月橋」が架かっている紅葉の名所です。

◇神護寺   [神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ)]

(高野山真言宗遺迹(ゆいせき)本山・高雄山)

 ・高雄橋を渡って更に石段を上っていくと、和気氏の私寺であったと思われる「神願寺」と「高雄山寺」の二つの寺院が天長元年(824)に事実上合併してできた寺「神護寺」に至ります。当寺には絹本著色伝源頼朝像・伝平重盛像・伝藤原光能像の「神護寺三像」、木造薬師如来立像(金堂本尊)、木造五大虚空蔵菩薩坐像、紫綾金銀泥両界曼荼羅図、絹本著色釈迦如来像、絹本著色山水屏風、梵鐘[貞観17年(875)の作]、灌頂歴名[弘仁3年(812)、空海が神護寺の前身である高雄山寺で灌頂の儀式を行った際の受者の名簿で、空海の自筆]、文覚四十五箇条起請文(平安時代後期の起請文)と多数の国宝が保管されています。

神護寺正門【神護寺】

◆愛宕山・愛宕神社

○「愛宕山」は、京都市街を取り巻く山々では最も高い924mあり、「三角点」は頂上北方の890.1mにあります。表参道から約2時間40分、月輪寺経由で2時間50分で登頂できます。

○「愛宕神社」は、山頂に鎮座する「火伏・防火」、即ち「火の神様」で、全国に約900社の末社があります。「千日詣」は7月31日から8月1日にかけて参拝すると千日分のご利益があるそうです。明智光秀が信長を襲う[本能寺の変]前にここで祈祷し、占ってもらったことは有名です。

◆愛宕山鉄道

○昭和4年に開業し、同19年に廃止された、嵐山~清滝間約3.4kmの平坦線と清滝川~愛宕間の鋼索線2km余の2本の鉄路でしたが、第2次大戦の戦況悪化で、鉄資材として転用されていきました。なお、「清滝トンネル」は三菱重工・航空機機体工場に編成され、僅か数カ月ですが排気弁を製造し、終戦後は道路トンネルとなりました。

◆保津川の今昔 

○古くは、保津川は急流と巨岩の連続のため、僅かに木材の筏流しが行われ、丹波の産物輸送は人馬が頼りでしたが、京都の豪商・角倉了以が慶長11年(1606)に保津川開削計画による舟運開発を約5カ月で完成しました[第210回行事・「高瀬川に沿って・加茂大橋~陶化橋」(2011年5月14日実施)参照]。以後、高瀬舟が通えるようになり、丹波と京の交通動脈となりましたが、明治32年(1899)の京都鉄道(現・山陰線)の開通や道路の発達によるトラック輸送に代わられました。

○遊覧船による「保津川下り」が、明治28年より始まりましたが、約16㎞を2時間ほどで下ります。

○若年層中心に、ゴム製ボートの「ラフト」による川下りも人気上昇中で、コマーシャル・ラフテイング・ツアーも行われています。

【2013年8月3日実施:案内・本條陽子:編集・宮﨑信隆】

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