■第206回行事・アーカイヴス(2011年1月)

★京を歩く・出町柳から清水寺まで

125000)地形図を片手に京都の街を歩きます。吉田山で三角点を探し、疎水を哲学の道に沿って遡り南禅寺水路閣まで進み、琵琶湖疏水記念館で「疎水」のすべてを振り返ります。その後は、円山公園・三寝坂と京都東山の観光中心をとおり、清水寺を目指します清水寺には国土地理院の前身の「内務省地理寮」が設置して遺存されている「基準点」を見物し、当時の測量の様子を紹介します。

コース:京阪・出町柳駅~吉田山(三角点)~哲学の道~南禅寺水路閣~琵琶湖疏水記念館~円山公園~清水寺・仁王門 (約10㎞)

【コース図(青線):国土地理院発行1:25000地形図「京都東北部」使用(図上の左クリックにより拡大)

206回25000京都東北部東南部_出町清水寺②

吉田山 

南北800m、東西300mの細長い孤立丘で、周囲より約50~60m程度突出していて、丘は南方へ傾斜し、最高点は北端部の125mで、今出川通に面して急崖を成して終わっています。

・西縁を「花折断層」が走っており、断層運動に伴って隆起してきたと考えられています。「花折断層」は右ずれ成分の卓越する活断層で、その南端部に位置する吉田山は横ずれに伴う物質の移動と圧縮応力によって形成されたと推定されており、「右ずれ断層」南端の右側には横ずれ移動による物質過剰が生じ、圧縮による膨らみが生じる傾向が強い、と考えられています。数十万年間にわたる「花折断層」の右ずれ運動によって形成されたとみられ、末端膨隆丘(ターミナル・バルジ)ともいわれます。風化された「大阪層群」上部の砂礫層から構成されていて、隆起が第四紀中期以降に生じています。北端・今出川通のトレンチ調査で、「花折断層」が縄文時代後期の地層を切って活動したことが確認されています。

・三角点:頂上の南方に標高105.12mの三等三角点があり、標識に「N35度01分18秒168・E135度47分19秒724、標高105.12m」と書かれている。

吉田山三角点105_12m吉田山三等三角点 

如意ヶ岳・大文字山    (山頂:左京区粟田口如意ヶ嶽町)

・標高472mで、他の呼称は如意ヶ嶽、如意嶽、如意岳、如意ヶ峰、如意山などがあり、鹿ヶ谷から池ノ谷地蔵を経て園城寺へ至る山道は「如意越」と呼ばれ、京と近江の近道とされ、「如意ヶ岳の戦」など合戦の舞台になったことがあります。支峰(西峰)として標高465.4mの「大文字山」があり、8月16日に営まれる京都・五山の「送り火」の(表)大文字として有名で、この山上から京都市内を一望できます。

◆哲学の道  

・左京区・若王子神社から法然院下を過ぎて、銀閣寺に至る疏水の流れに沿った水縁りの約1.5㎞の小道です。哲学者・西田幾多郎が散策して思索に耽ったと伝わってこの名がついていますが、「日本の道百選」にも選ばれています。春の両岸の関雪桜花のトンネルは風情一入です。(今回は下流側から南へ遡りました)

雪化粧の哲学の道【雪化粧の哲学の道】 

◆南禅寺 水路閣 

・琵琶湖疏水の分線(蹴上以北)にある水路橋で明治21年(1888)に完成しました。南禅寺境内を通過するため、周辺の景観に配慮して田辺朔郎が設計・デザインした、全長93.2m・幅4m・高さ14mの煉瓦・花崗岩造りのアーチ型橋脚の風格ある構造物で、市指定史跡です。

南禅寺水路閣Ⅱ南禅寺水路閣

琵琶湖疏水記念館

平成元年8月に「蹴上インクライン」の畔の地に開設され、館内には全長5mの墨書による京都~大津間の「通水路目論見実測図」や難工事を描いた絵画、建設関係文書などが展示されています。蹴上インクラインの模型もあり、琵琶湖疏水の歴史が分かります。

清水寺   (「世界文化遺産」登録)

奈良末期、宝亀9年(778)に僧延鎮が開山し、平安建都間もない延暦17年(798)に坂上田村麻呂が仏殿を建立したと伝わります。現在の建物の多くは、寛永8年~10年(1631~1633)に徳川家光の寄進によって再建されたもので、音羽山を背に仁王門、西門、三重塔などいずれも重要文化財の15の堂塔が建ちならびます。桜・新緑・紅葉を背景にした懸崖造り本堂(国宝)は、断崖の上に迫出し、市街地の眺望は最高です。

清水寺【清水寺】

◆仁王さんのへそ石・清水寺仁王門・内務省地理寮の基準点標石(国土地理院近畿地方測量部)

・国土地理院の前身である「内務省地理寮」や「参謀本部陸地測量部」時代に基準点測量や地図作成のための測量が日本各地で行われました。その時代の測量に関する資料や設置された標石等が現存しており、これは日本に近代的な測量技術が導入された明治から昭和初期における「測量史料」です。

・京都東山・清水寺仁王門の基壇には、「仁王さんのへそ石」と呼ばれる石があり、明治初期に国土地理院の前身である「内務省地理寮」が近代的な測量技術を用いて全国の主要都市の市街図作成を行った際に設置した「基準点標石」(以下「標石」)です。
・「標石」は、一般的に知られる「三角点」とは形状が異なることから、「標石」であることは分かり難いですが、「標石」と判明したのは、京都府文化財保護課による清水寺仁王門を含めた寺院の一部補修工事の際で、工事により石が掘り出され、4つの側面に「明治八年」「地理寮」「明治十五年八月建地理局」「測點」の文字が確認されたためです。「標石」は3個の個体(石)で構成されています。
・「京都三角網素図」(国会図書館蔵)等の当時の測量記録には、「標石」は、東寺、六角堂、吉田山などに27点で設置されたと記されていますが、この点以外には存在を確認することはできませんでした。
・「標石」は、明治期の測量の歴史を知るうえで貴重な文化財であることから、京都府文化財保護課と清水寺の厚意により設置されています。

清水寺_基準点標石_明治初期【基準点標石・案内盤:清水寺仁王門(図上の左クリックにより拡大)】  

表示柱石_保護蓋石_清水寺基準点標石【表示柱石と保護蓋石:清水寺基準点標石】

【2011年1月15日実施・案内:海老名・門脇・沢辺(国土地理院近畿地方測量部)・編集:宮﨑信隆】

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